このところ、百歳近い叔母の面倒を見たり、90歳を過ぎた母親の面倒を見たり、息子の結婚式などで、山小屋とご無沙汰していたが、三週間ぶりに、家内とやってきた。
火熾し
朝から床下の囲炉裏で湯を沸かしたり、ガーリックトーストを焼いたり、焼きそばを作ったりして、二日間ともアウトドアクッキングとなった。
良く本に出てくるワイルドな料理は出来ないが、素人なりに、あり合わせの食材で手料理を作って食べる。こんもり茂った林に囲まれて、一日が、何となく過ぎて行く。合間に、本を読んだり、やりかけの土木工事を続けたりする。
人が見ると、「なーんだ」と言うような過ごし方をしている。 雹(ひょう) 久しぶりに来たら、ウドの葉が全面虫が食ったように筋と茎だけになっていた。
緑の葉は跡形もない。よく見ると、ウドの茎の表面に約一センチ間隔で白い斑点模様が出来ている。玄関前の駐車場と林の小道が一面、生の落葉松の葉で薄緑色に覆われている。桜、水楢、白樺、紅葉などの葉もかなり破れて落ちていた。まだ沢山萎れて枝先にぶら下がっている。ベランダの手摺りにも点々と塗料がはげた所があり、引っ掻き傷もついている。
坂井さんらの企画
昨日は、焚き火の炉を一部作り替えたり、東側の庭に降りる腐った階段を作り替えたりした。今朝は、疲れたので作業を休み、10時頃池田さんの山荘に遊びに出掛けた。丁度そこに、堀越さんと坂井さんが来ていた。坂井さんは、「八千穂村の塵処理場の計画を村役場に説明して貰いましょう」と言う件で、以前一度ご夫婦で我が家に見えたことがある人である。30年も前から別荘に来ている人で、別荘地と八千穂のことについては何でも知っている。
池田さんの怪我
皆が熱心に話していたので、しばらく気が付かなかったが、びっくりしたことに、池田さんは、先週、余所で工事の手伝いをしていたとき、丸鋸で左膝に大怪我をし、救急車で佐久病院に運ばれ、16針も縫ったとのこと。幸い骨には異常がなかったが、彼は足を曲げられないので囲炉裏小屋の階段に座って雑談していた。見ると左膝に大きな包帯を巻いて固めていた。彼は山男で、気丈なため、入院は嫌だと帰ってきていた。今でもずきずき痛むという。山や田舎では、チェーンソウや丸鋸で怪我をする人が後を絶たない。山小屋生活をしている人の書き物には、よくチェーンソウによる怪我の話がでてくる。身近な人の怪我で、「これは人ごとでない」と、気が引き締まった。
ニュウが見えるか
話は変わるが、池田さんの囲炉裏小屋から見える山の話になり、正面に見える二瘤の山が東天狗の岩峰か、ニュウの岩峰かで意見が分かれた。坂井さんと堀越さんは東天狗の右肩の岩峰だと言うが、池田さんと私はニュウだと主張してどちらも譲らない。
池田さんは土地の人に聞いたから確かだという。坂井さんは山脈の連なりから東天狗であり、ニュウはもっと右で、ここからは見えないと言う。
私は、山のプロではないが、自分の小屋から見える山については、以前に相当詳しく調べていた。小屋を起点として地図上に、有名な山に向かって線を引き、その線上の仰角から最初に見える尾根の位置を調べてあった。この地図を厚紙に貼って、60倍の望遠鏡の下に敷き、我が家の位置を中心にして、望遠鏡を回転させながら、各山を確認してあった。
特にニュウの岩峰は、実際に見てきた岩峰と同じで、休日には蟻のような人影がよく現れる。もし東天狗の岩峰なら、登山ルートから外れているので、人影は無いはずである。また、先ほどの仰角の数値から、ニュウの頂上は見えるが、東天狗の岩峰は稲子岳の陰に隠れて見えないはずである。
皆さんの主張があまりにも確信に満ちていたので、その積もりでもう一度確認してみようと思い、池田さんの小屋からの帰りに、一人で、天狗とニュウの両方がよく見える畑に出て確認してみたが、私の考えに間違いはなかった。更に、しつこく、天狗の岩峰とニュウの岩峰が同時に見え、その連なりまで分かる里の道まで足を伸ばして、再度確認した。
その結果、ニュウは天狗の尾根より一つ手前に見える尾根(実際には尾根続きだが、回り込んでいるため、別の尾根に見える)であり、天狗の尾根の岩峰より少し手前に存在することを確かめた。また、別荘地まで登ってくると、天狗の岩峰は、尾根の後側に入り込み見えなくなることを確認した。
納得しながら小屋に戻ろうとすると、偶然、国道を件の坂井さんがポスターを貼りに行くために歩いていた。側に寄って、その話をすると、彼は自分の小屋に寄り、二万五千分の一の地図と二つの双眼鏡を持って私の車に乗った。天狗とニュウの両方がよく見える所まで再び下って確認した。彼は改めて納得したようであった。
彼は、もうこの別荘地に30年も来ていて、山の景色は知悉している人だが、「先入観で、ずっとそう思い込んでいました」と、話していた。
彼は、帰りがけに、例の畑の所から谷川岳が見えることを教えてくれた。冬の天気の良い日に是非見てみたいものである。
雉の親子
坂井さんが、自分の小屋に地図と双眼鏡を取りに行く間、国道299号の横に車を止めて何気なく前方を見ていると、右の森から雉の雌が数羽の子供を連れてゆっくり国道を渡っているのが見えた。反対側は畑である。後から更に子供が一羽、遅れて足早に渡って行った。親鳥をそのまま小さくしたような子供は、親の前後を小さな歩幅でちょろちょろと歩いて渡って行った。森や草をバックに田舎の舗装道路を渡る雉の親子は微笑ましく、一幅の絵になる。
皆既月食
その日の夕刻、私は庭の散歩道の補修が長引き、家内はパソコンに夢中になって、帰りが少し遅くなった。今日は皆既月食が見られる日である。何時に欠け始めるのか聞き忘れたが、天気が良ければ、途中で見られるかも知れないと半分期待して帰途についた。
いつものように清里のビアレストラン、ロックに寄り夕食を取った。そろそろ避暑の季節であるため、ロックはかなり混んでいた。八月の始めには、八時頃から庭園で野外バレーがあるそうである。その前に夕食を取る人が多いため、相当の混雑が予想されるとのことであった。どうやら、これからしばらくは、ロックに近づけないかも知れない。旨い地ビールはしばらくお預けである。
八時頃家内の運転で、ロックを出て帰途についた。中央高速は久しぶりに混んでいた。所々で渋滞に遭い、のろのろ運転になった。そのお陰で、大月を過ぎる頃、月の左下が少し欠けるのに気が付いた。「や、始まった!」と、久しぶりに見る月食に、家内と興奮しながら車の中から観察を始めた。我々が経験してきた、これまでの天体ショウに比べると、かなりゆっくりとした変化である。半分になるのに一時間近く掛かった。欠け方は何となくぼんやりしていて、くっきりした三日月にはなっていない。欠けて見えない筈の部分も、うっすらと透けたように見える。全部隠れたときも、薄い丸い月がぼんやりと見えていた。
何年か後、NHKの子供電話相談室の放送を聞いていたら、皆既月食でもぼんやりと月の輪郭が見えるのは、地球の縁で回折散乱した僅かな太陽光が月に当たり反射するからだそうである。
その直後、右からカーブを曲がって上がってきた車が、勢い良く通り過ぎていった。一番後から渡って行った雉の子が、驚いて畑の中で飛び上がった。
この辺りでは、よく雉を見掛ける。つい一ヶ月ほど前にも、つがいで畑を歩いているのを見たばかりであった。
彼は、堀越さんと池田さんとで、ハイキングの会やアウトドアクッキングの会をやっている。八月五日に白駒池から高見石にハイキングに行き、その夜、堀越さんの山荘でバーベキュウをやるそうである。次回は池田山荘と言う案も出ている。ポスターを作り、何処に貼ろうかと相談していた。
この会は三年目を迎えて、少しずつ趣向を変えてやっていくのだと、張り切っていた。別荘の人の横の繋がりを増したり、八千穂、松原湖などで行われる行事を伝え、みんなで楽しく遊ぼうというのである。
八月五日に山小屋に行ったら、是非参加したいと思っている。
最近では、火熾しに割り箸大の焚き付けを沢山作っておいて、炭火を熾すので、大分手際がよくなった。新聞紙の一頁分を軽く丸めて火を付け、1/3ぐらい燃えたところで、一握りの焚き付けを束のまま乗せる。それに火が移ったところを見計らって、マングローブの炭の屑を一握り乗せる。火吹き竹で数個の炭の小片に火が移るまで吹く。後は、大きな炭を傍に立てかけて、吹く。十分熾きたところで、備長炭を添えれば、長持ちする火が得られる。
備長炭は、十分熾した後、灰をかぶせておくと、半日以上持つので、三度三度熾す必要がない。
「こりゃ何だ」と不思議に思っていたら、下の佐藤さんから「二週間ほど前の7月4日に、大量の雹が降ったのよ」と知らされた。台風3号の少し前のことである。後で土地の中年の人に聞いたら、この地方では初めて経験する猛烈な雹だったそうである。近所の農作物は全滅だったに違いない。
特にウドの茎の斑点は、その強烈さを物語っていた。当日山に居た別荘地の池田さんは、「ヘルメットを被らなければ外に出られなかったんですよ」と言っていた。また、地面に何センチもの白い氷が積もったそうである。
昔、生家の武蔵野にも1センチ大の雹が降ったことがある。瓦屋根に「キン、コン」と音を出して跳ね返り、地面に氷のビー玉が散らかった事を思い出した。