子供の頃、私の生まれた武蔵野には、抜けるような空があった。夏には何回も激しい雷雨があった。その後には東の空に大きな虹の橋が架かった。夜は庭木の間から天の川が白く流れていた。七夕の頃、父親に教えて貰って織り姫を捜したりした。畑の里芋の葉に溜まった朝露で墨をすり、筆で短冊に思い思いの文字や詩を書いた。庭の竹を一本切って貰って短冊を枝葉にぶる下げた。当時はそんな心の余裕があった。

  八千穂の山小屋から一キロメートルほど離れた所に、高原野菜を作っている広々とした畑がある。北に浅間山、東に長野と群馬を分ける荒船山とその山脈、南西に八ヶ岳、そして西にはこんもりとした森がある。そこは星を見るには絶好の場所で、遠く浅間の手前に佐久平の明かりが見える。畑の中の緩やかな道を少し下ると、土手の陰になり、里の明かりは見えなくなる。その場所は殆ど全天が見える絶好の天体観測場である。

  夏も冬も見に行く。全天に鏤められた星、星、星。素人にも分かる有名な星座の背景には、これほどまでに有るのかと思われるほど無数の名も無い星が煌めいている。一段と濃い塵の帯は天の川である。一つ一つの星と言うより白い雲のような、まさにミルキーウェイが南の地平線から天頂を通って北の地平線まで続いている。
 冬の星座はとりわけ美しい。着られるだけ衣服を着、更に防寒具に身を包み、暖房を点けたままの車を側に置き、マイナス10度の畑で空を仰ぐ。赤いレンズを被せた懐中電灯で星座表を見ては、空の星と見比べる。明るい光で星座表を見ると、瞳孔が閉じて空を見たとき一瞬何も見えなくなるので、懐中電灯には赤いレンズやセロファンを被せる。

  時々都会から来た若者が、天体望遠鏡とカメラを据え付け、畦道にシートを敷いて仰向けに寝そべり、狙いの星が現れるのを待っている。

  1996年3月25日からの百武彗星や、1997年3月下旬から4月中頃まで見えたヘールホップ彗星の時は、私たちを含めて別荘の住人も随分現れて俄か天体観測者になった。特にヘールホップ彗星の時は、村々の電灯が消され、素人の私も、家内と二人で、8倍の双眼鏡と60倍の望遠鏡と三脚を抱えて何週間にも渡り、件の畑に見に行った。北西の地平線の少し上にボーと尾を引いた大きな彗星が右上から地面に向かう形で見えた。絵本では見たことがあるが、尾を引く彗星をこの目で見たのは始めてであった。日頃話をすることもない離れた別荘の住人とも、この時ばかりは親しくなり、望遠鏡を代わる代わる覗いては一緒に歓声をあげた。

  このように突然の大きな天体ショーもあるが、年に数回、決まった時期に特定の星座の方向に流星群が見られる。1月3、4日、星座の名は忘れたが、最初の流星群が現れる。続いて、5月5日の水瓶座流星群、8月1~20日頃のペルセウス流星群、10月20、21日のオリオン座流星群、11月17、18日の獅子座流星群、12月13、14日の双子座流星群等が有名で、年によって数が異なり、今年は多い年だと言われると、我々だけでなく、別荘の観察者も数人に増える。五分間に一個程度の流れ星であるが、時に天空の四分の一を走り抜けるほど長い流れ星を見ることがある。私の年間メモにはそれ等の時期が記して有り、偶々天気がよい週末に来て流星が見られる時にぶつかると必ず畑に出てみる。方向がほぼ決まっているので二人で見ていると見逃すことはない。こんな歳になっても、家内は願い事を用意して待っているが、一瞬であるので、つい見るのに夢中になって言い終えたことがない。

  ここから南へ二十数キロの所にある野辺山には、有名な東大の天体観測所がある。また北へ数キロ行った北八ヶ岳の中腹に、最近直径60mもあるパラボラアンテナを備えた電波望遠鏡が設置された。また、それと比較するようなものではないが、八ヶ岳の尾根筋にある高見石小屋の主は通称天文博士と呼ばれ、登山者仲間に天体の織りなす競演を説明して喜ばれている。
我々の別荘地の中にも、高台にコンクリートでしっかり土台を固め、天井がスライドして開く本格的な望遠鏡を備えた観測塔を持つ小屋がある。天文好きの同好の士が何人か集まって建てたのだそうである。

  神秘の宇宙には、昔からロマンに満ちた物語があり、我々素人から見れば同じ星座が廻っているだけに見えるが、常に無限の変化をしている。今でも多くの愛好家が寝食を忘れて新星の発見に情熱を燃やしている。最近の科学の発達で、天体観測も殆どコンピュータ制御による自動観測になってきたようである。それでも新星の発見にタッチの差が出るのは、我々素人には計り知れないことであるが、使っているソフトの性能に若干差があるのかも知れない。いや正式に申し出るタイミングで差が出るのか、よく分からない。

  バブル華やかなりし頃、ゴルフ場の電話予約をするとき、毎分何回電話を掛けられるかで、予約が出来るかどうかが決まったことを思い出す。回転式ダイヤルでは勝負にならず、まだ出たばかりの押しボタンダイヤルの電話機を使い、短縮ダイヤルに予約番号を登録し、ワンタッチのボタンを毎分何回押すかで予約の勝負を決めたことが思い出される。

  天体の饗宴の話が、彗星の発見時刻のタッチの差、ゴルフ場の予約競争などと、次元の低い電話予約の話で終わるのは何とも世知辛い話であるが、娑婆が有っての天体の饗宴の有り難みである。