★まえがき (1999.8)

 建ててみると、何とも小さく、都会的で、趣のない山小屋になった。しかしここで週末を過ごすことを繰り返す中に、「我々は山小屋に来るのではなく、山小屋の在る場所に来るのだ」と言うことが分かってきた。
 我が山小屋は、八ヶ岳山麓、千曲川沿いの長野県南佐久郡八千穂村の里から、国道299号を麦草峠に向かって8キロほど登ったところに有る。標高1220メートルの村営別荘地である。

そこは一部なだらかな部分もあるが、概して凹凸の激しい急な斜面の山林で、30年程前に、村興しの一貫として、山を切り開いて作った別荘地である。

 レストランの類は一軒もない。管理棟一軒とゴミ集積所がいくつかあるだけである。昔はレストランや喫茶店が一つずつあったが、いつのまにか辞めてしまった。

 我が家は310坪程の土地であるが、南に長い25度の急斜面の林なので、道を一つ隔てて数十メートル下の方にある二、三軒の家は、夏には木が茂って全く見えない。また、その先に白樺林の尾根があり、その手前の谷間にある小川で別荘地は終わっている。
そのため両隣に建つ山荘の庭と、前方の八ヶ岳連峰に通ずる広大な起伏を借景にすると、何千万坪の森の中にポツンと一軒存在しているような錯覚にとらわれる。

 ここは日常性から離れ、季節の変化、天気による変化、一週間毎の風景の移ろいを楽しめる所であり、登山、スキー、山遊びの拠点にもなる。

春になると、山菜が採れ、一年中鳥がやってくる。絵画のモチーフにも事欠かず、気兼ねなく土木作業、焚き火、バーベキュー等を楽しめる場所である。小屋を取り巻く森は、遠く子供の頃の思い出や遊びを蘇らせてくれる。

 男は何時になっても子供である。女はそれを呆れながらも微笑んで眺めている。人は何時でも自然の中に故郷を思い起こすのかも知れない。

 こうやって七回の春を過ごしている中に、ゴルフにもすっかり疎くなった。年に30数回もやって来る。それでも、週末を待ちわびる気持は変わらない。こんな事は山小屋を建てる前には想像すら出来なかった。都会、しかも海しか知らない下町育ちの家内が文句を言わずについて来て、山に馴染んで行くのも予想外であった。

 たまに家内が都合で来られなくなり、私だけが来ると、家内はしきりに文句を言う。「東京の仕事ができないから、たまにはこっちに居れば」とか、「交通費がもったいないわよ」などと言う。実は一緒に来たいのである。

 何時か仕事を離れれば、この「男の隠れ家」ならぬ「夫婦の隠れ家」に来る頻度や滞在期間はもっと増えるだろう。道具に囲まれた作業場で、手ぐすねを引いて待っている木工が始まることだろう。
 つい最近まで続けていた薔薇作りもここで再開するつもりである。大好きな土木工事の予定も進むことだろう。これまで時間的にままならなかった趣味が本格的に開花する筈である。

 八ヶ岳の山も、もっともっと身近になり、これまで歩かなかったどんな細い山道にも足跡が付くことだろう。本当に山小屋が呼んでいるような気がする。  そんなことで、以下の文は、趣味の土木工事の記事が多すぎる感もあるが、細かい技術に興味のない方は読み飛ばしていただきたい。

 誰でも50歳の半ばを過ぎると、定年が少しづつ射程に入ってくる。将来どんな生活をしたら良いのか考え始める歳でもある。

 「山小屋が呼んでいる」は、そんな方々が、小さくとも山小屋 を建てると、そこにどんな楽しみや可能性が待っているのかを、限られた経験の中から述べてみたものである。又既に山小屋をお持ちの方には、遊びのレパートリーを増やすために、お役に立てれば幸いである。

 なお、山小屋に纏わる作業については、興味のある方が再現できるように、段取り、イラスト、写真、寸法等を入れておいた。その分、少ししつこくなってしまったが、興味のない方は読み飛ばしていただきたい。

★5章 小さな発見 (1998.4)

   四月も中頃である。一週間ぶりに山小屋に戻ると、先週抜いた水道の水をもとに戻した。最高、最低寒暖計を見ると、この頃でも、過去一週間の間でマイナス5度の記録が残っていた。五月の連休までは油断できない。車のタイヤも11月始めから5月始めまではスタッドレスを履いたままだ。
今日は珍しく五時起きで東京の家を出た。家内が「桃の花の季節だから昼間行きましょうよ」と言う。私は山小屋の朝が好きだから前の晩に行く習慣にしているが、「桃の花もたまには良いか」と、中央道を朝一で走って来た。目当ては甲府盆地の桃である。高速道路からの花見ではあったが、見渡す限りの桃の花は見事だった。霞が棚引くように地面から少し浮き上がった薄桃色がずーっと続く。一瞬の景色とはいえ、勝沼辺りの桃畑を過ぎるには数分かかる。

  いつもは高速道路を須玉で降りるが、今日は朝の山の景色を眺めようと、一つ先の長坂インターで降りた。大泉の別荘地を抜けて八ヶ岳の鉢巻き道路を通り、清里をバイパスして野辺山に出た。付近のスキー場にはまだ雪が沢山付いているが、既に閉鎖されている。

  小海の手前、松原湖で山に上がり、久しぶりに稲子湯に寄ってみた。先週稲子湯から山に入って”みどり池”に行こうと思ったが、今年の雪の多さに、”かんじき”無しでは歩けないだろうと諦めていた。でも本当はどうかと気になっていたので寄ってみたのである。稲子湯の女主は、「通年人が通っているから大丈夫ですよ」と、こともなげに言う。「何だ、取り越し苦労だったのか。近い中に是非行ってみたいものだ」と呟きながら車に戻った。

  ふきのとう道すがら、”蕗のとう”を採りながら国道299号へ出て、10キロほど下り、山小屋に着く。今夜は蕗のとうの天ぷらで一杯が楽しみである。

  山小屋の駐車場には、まだ屋根から落ちた雪がたっぷりと有り、山になっていた。二月頃は、これが2メートル以上にもなり、今年は何時融けるのかと案じていたが、やはり季節に忠実で、大分融けて、二つの小山に別れて残っていた。早く融けるように、一抱えほどの小さな山の方を崩し、辺りに広げた。

  小屋に入り、早速窓辺の餌台に、ヒマワリの種をたっぷり入れてやる。そろそろ餌やりの季節も終わる。でも、すかさず、コガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラがやってきてついばむ。
コガラが最も人なつこく、目の前で小さな嘴でしきりにヒマワリの種を割っている。
左の翼が小さく毛羽立っているコガラの”チーコ”がよく来る。また背中に小さな毛が立っているヤマガラの”ジーコ”も何時もやって来る。ヤマガラも人なつこく、餌台に止まると必ずジージー鳴いて、「来たよ」と知らせる。

  去年は、丸鋸を買い、その切れ味を試すために、丸鋸で作った鳥小屋シジュウカラ用の巣箱を四個量産した。十メートルほど離して木にくくりつけてやったら、ゴジュウカラが来て、しきりに穴を広げる作業をしている。入り口の直径をシジュウカラ用に28ミリにしてやったが、ゴジュウカラは少し大きいため、出入りは十分出来るのに、穴を広げる工事をやっている。また巣箱の穴の有る面に泥を塗ってカモフラージュをしている。なかなか捗らない。来週はどうなっているか今から気掛りである。上手く営巣してくれればよいが。

  四年ほど前、やはり巣を掛けてやったら、シジュウカラが入った。何週間か経って来たとき、偶然巣立ちにぶつかった。朝七時に一羽が飛び立ち、全部で12羽が飛び立つのに夕方の五時まで掛かった。一日中窓から眺めていた。元気の良い順に出て来るらしく、最後に出てきたのは、やはり育ちが悪く、なかなか飛び出せなかった。親の誘導でやっとの思いで飛び出したが、巣の真下に落ちてしまった。
驚かしてはいけないと思ったが、心配なので出ていって少し遠くから見ていると、身の危険を感じたのか、この小さな体で人間を威嚇した。しばらく経って行ってみると、もう居なかった。きっと上手く飛べたのだろう。少し安心した。それにしても12羽とは、あの小さな巣箱にどの様にして入っていたのだろう。親鳥の給餌はさぞ大変だったろう。我が家の三人の子育てを思い出して、しばし女房と感慨に耽った。

  もう此処に来てから八年以上経つが、この様な光景はその後出会していない。

  ある日、町へ買い物に出ての帰り道、国道299号の山道にさしかかったところ、大きな雉のような鳥が舗装道路をゆっくり歩いて渡ろうとしていた。よく見ると夕日の中で金色に輝いている。尾が長く、全長一メートル近くある。うろ覚えだが、”山鳥”に違いない。数メートル手前で車を止めて見ていると、別に慌てる風もなく、向きを変え、山の中にとことこと戻っていった。しばらく目で追っていたが、程なく見えなくなった。

  ここは小屋から直線距離で二百メートル程度しか離れていない。早速小屋に帰り、図鑑を調べたら間違いなく”山鳥”の雄であった。何か宝物を発見したような気がした。

やまどり

 ”山鳥”は日本にしか居ない鳥で、鳥好きの外国人から見ると垂涎の的だそうである。
こんな事で、山に来ると街では見られない”小さな発見”がある。

★6章 カタクリの群落 (1998.4)

 山小屋から里に降り、千曲川を渡った山奥に曽原(ソバラ)と言う村がある。そのどん詰まりに温泉宿が一軒ある。そこから林道を2、3キロ登り、更に山道を少し行くとカタクリの群生地がある。毎年四月の中頃になると家内と見に行く。「まだ少し早いが、行ってみよう」と言うことになった。

 カタクリの群生地は、疎林の中にあり、約千坪程である。満開までには後一、二週間かかるが、既に沢山咲いていた。いつものように下を向いて濃いピンクの花びらを上にピンと反り返らせ、小ウサギを思わせるように瑞々しく可憐に咲いていた。
花の形は一見百合のようで、芯に向かって、桃色から濃い紫に変わり、奥に網の目状の模様がある。中心には黒紫の雄蕊が小さな金槌のように何本か着いている。赤ずんだ緑の中に白い符を撒いたような葉は独特で、少し厚みを持っている。

 カタクリがあるところに必ず咲く”吾妻イチゲ”も、所々、小さな白い花を見せている。可憐に咲くカタクリ単独で見ても本当に清楚で美しい。高さは10センチ強で、茎の太さも一ミリ程度であり、地面からひょろりと立って、数枚の小さな葉を笠のように一重に広げて、そのすぐ上に一輪、体に似合わない大きな白い花を着ける。カタクリに比べれば小さくて、うっかりすると見過ごす。

 林の入り口付近に戻ってくると、自然保護指導員の腕章を付けた人が所在なげに地面に腰を下ろしていた。時期が早いので、見に来る人はまだ殆ど居ない。声を掛けると、指導員は、山野草だけでなく、樹木、岩石などにも詳しく、親切に色々教えてくれた。

 「この辺りの地質は、古生層で弱アルカリ性なのです。それがカタクリの生育に適しているのです」と話してくれた。山小屋から余り遠くないところに、「地球創生期の地核が露出している場所がある」、と聞くだけで何ともロマンティックな気分になる。

 カタクリの群生地のすぐ右側には、切り立った古成層が100メートルほど隆起して出来た痩せ尾根がある。「この頂上付近には此処からは見えませんが、”日陰ツツジ”の群生地があり、6月には見事な黄色い花を咲かせるんですよ。でも、人はカタクリだけを見に来るので、案外知られていないんです」と言う。我々も今まで知らなかった。

 「案内してあげましょう」と我々夫婦を伴ってカタクリの群落を通り抜け、少し先から右に折れ、膝元まで深く堆積した落ち葉を踏み分けるようにして涸れ沢を詰める。そこから右へ取って、木の根につかまりながら古成層で出来た岩だらけの断崖をしばらくよじ登る。頂上手前の左手が急に開け、日陰ツツジの群落が広がっているのが見えた。

 痩せ尾根を左回りに渡っていくと、群落は予想外に大きかった。「これが咲いたら、さぞすばらしいでしょうね」と話している中に、頭の中の群落は一面黄色い花で覆われた。

 景色も地形の複雑さを反映して、美しく、しばし見とれてしまった。「6月には絶対来るぞ」と言いながら、尾根の途中から道とも崖ともつかない急斜面を、藪漕ぎしながら降りて来た。そこは元のカタクリの群生地であった。