四月も中頃である。一週間ぶりに山小屋に戻ると、先週抜いた水道の水をもとに戻した。最高、最低寒暖計を見ると、この頃でも、過去一週間の間でマイナス5度の記録が残っていた。五月の連休までは油断できない。車のタイヤも11月始めから5月始めまではスタッドレスを履いたままだ。
今日は珍しく五時起きで東京の家を出た。家内が「桃の花の季節だから昼間行きましょうよ」と言う。私は山小屋の朝が好きだから前の晩に行く習慣にしているが、「桃の花もたまには良いか」と、中央道を朝一で走って来た。目当ては甲府盆地の桃である。高速道路からの花見ではあったが、見渡す限りの桃の花は見事だった。霞が棚引くように地面から少し浮き上がった薄桃色がずーっと続く。一瞬の景色とはいえ、勝沼辺りの桃畑を過ぎるには数分かかる。
いつもは高速道路を須玉で降りるが、今日は朝の山の景色を眺めようと、一つ先の長坂インターで降りた。大泉の別荘地を抜けて八ヶ岳の鉢巻き道路を通り、清里をバイパスして野辺山に出た。付近のスキー場にはまだ雪が沢山付いているが、既に閉鎖されている。
小海の手前、松原湖で山に上がり、久しぶりに稲子湯に寄ってみた。先週稲子湯から山に入って”みどり池”に行こうと思ったが、今年の雪の多さに、”かんじき”無しでは歩けないだろうと諦めていた。でも本当はどうかと気になっていたので寄ってみたのである。稲子湯の女主は、「通年人が通っているから大丈夫ですよ」と、こともなげに言う。「何だ、取り越し苦労だったのか。近い中に是非行ってみたいものだ」と呟きながら車に戻った。
道すがら、”蕗のとう”を採りながら国道299号へ出て、10キロほど下り、山小屋に着く。今夜は蕗のとうの天ぷらで一杯が楽しみである。
山小屋の駐車場には、まだ屋根から落ちた雪がたっぷりと有り、山になっていた。二月頃は、これが2メートル以上にもなり、今年は何時融けるのかと案じていたが、やはり季節に忠実で、大分融けて、二つの小山に別れて残っていた。早く融けるように、一抱えほどの小さな山の方を崩し、辺りに広げた。
小屋に入り、早速窓辺の餌台に、ヒマワリの種をたっぷり入れてやる。そろそろ餌やりの季節も終わる。でも、すかさず、コガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラがやってきてついばむ。
コガラが最も人なつこく、目の前で小さな嘴でしきりにヒマワリの種を割っている。
左の翼が小さく毛羽立っているコガラの”チーコ”がよく来る。また背中に小さな毛が立っているヤマガラの”ジーコ”も何時もやって来る。ヤマガラも人なつこく、餌台に止まると必ずジージー鳴いて、「来たよ」と知らせる。
去年は、丸鋸を買い、その切れ味を試すために、シジュウカラ用の巣箱を四個量産した。十メートルほど離して木にくくりつけてやったら、ゴジュウカラが来て、しきりに穴を広げる作業をしている。入り口の直径をシジュウカラ用に28ミリにしてやったが、ゴジュウカラは少し大きいため、出入りは十分出来るのに、穴を広げる工事をやっている。また巣箱の穴の有る面に泥を塗ってカモフラージュをしている。なかなか捗らない。来週はどうなっているか今から気掛りである。上手く営巣してくれればよいが。
四年ほど前、やはり巣を掛けてやったら、シジュウカラが入った。何週間か経って来たとき、偶然巣立ちにぶつかった。朝七時に一羽が飛び立ち、全部で12羽が飛び立つのに夕方の五時まで掛かった。一日中窓から眺めていた。元気の良い順に出て来るらしく、最後に出てきたのは、やはり育ちが悪く、なかなか飛び出せなかった。親の誘導でやっとの思いで飛び出したが、巣の真下に落ちてしまった。
驚かしてはいけないと思ったが、心配なので出ていって少し遠くから見ていると、身の危険を感じたのか、この小さな体で人間を威嚇した。しばらく経って行ってみると、もう居なかった。きっと上手く飛べたのだろう。少し安心した。それにしても12羽とは、あの小さな巣箱にどの様にして入っていたのだろう。親鳥の給餌はさぞ大変だったろう。我が家の三人の子育てを思い出して、しばし女房と感慨に耽った。
もう此処に来てから八年以上経つが、この様な光景はその後出会していない。
ある日、町へ買い物に出ての帰り道、国道299号の山道にさしかかったところ、大きな雉のような鳥が舗装道路をゆっくり歩いて渡ろうとしていた。よく見ると夕日の中で金色に輝いている。尾が長く、全長一メートル近くある。うろ覚えだが、”山鳥”に違いない。数メートル手前で車を止めて見ていると、別に慌てる風もなく、向きを変え、山の中にとことこと戻っていった。しばらく目で追っていたが、程なく見えなくなった。
ここは小屋から直線距離で二百メートル程度しか離れていない。早速小屋に帰り、図鑑を調べたら間違いなく”山鳥”の雄であった。何か宝物を発見したような気がした。
”山鳥”は日本にしか居ない鳥で、鳥好きの外国人から見ると垂涎の的だそうである。
こんな事で、山に来ると街では見られない”小さな発見”がある。