★14章 小鳥の餌付け  (1998.7)

 

 冬も山の良さの一つである。しっかり冬支度のしてある山小屋は、ぬくぬくとして実に心地よい。東京の拙宅と比べるとずっと暖かで住み心地がよい。しかも外は寂寂とした樹木の森。「自然に包まれているなあ」と実感する時でもある。 時々吹く強風に葉の落ちた唐松の巨木が大きく揺れる。風の強さに応じて梢が将棋倒しのように並んで撓む。

   十一月頃から窓辺に取り着けた餌台に、ひまわりの種をやり始める。すかさず、が近づいてくるが、側まで来ては引き返す。人懐こい「コガラ」が来てついばみ始めると、やっと安心したようにくわえて行く。

 餌台は食堂の腰高の窓辺にあるので、彼等は我々の目と鼻の先にやってくる。

  は人懐こく、二重窓の中ではあるが、我々が作業をしていてもあまり気にしない。ひまわりの種を一つくわえては近くの小枝に行き、足でしっかり押さえ、嘴で割って食べる。時には餌台に止まって、その場で大きな音を立てて、種を嘴で割って食べる。足で種を掴み、頭を上下に激しく動かし小さな嘴で大きな種を割る。一方の面を割ると、種を足と嘴でクルッとひっくり返し、反対の面を割る。その操作は素速く鮮やかである。

  最近では窓を開け放していても彼等はやってくる。手を伸ばせばすぐ届くところに小鳥がやってくるのは何とも嬉しい。特に「コガラ」は余り怖がらずにゆっくり種をくわえて飛んで行く。家内がインターネットのホームページを作るのだと、ディジタルカメラを向けても怖がらず、冬の羽毛に包まれた可愛い写真を撮らせてくれる。
 直接覗かずに、カメラで覗くと、どんなに近づいても彼等は怖がらない。それでも一眼レフのシャッターの音には驚いて飛び立つ。しかし、また直ぐ来る。 は嘴が長く、大きなひまわりの種を必ず二つづつくわえていく。 冬支度の頃は、カラ類は、餌を蓄えるために、くわえていってはすぐ帰ってくる。ある日、「ヤマガラ」の後を望遠鏡で追いかけてみると、土手の木の根っこや落葉松の木の比較的低い部分の割れ目に隠しているらしいのがわかった。もっていく度に同じところではないが、近いところに隠している。どのように隠しているのか、後で行って探してみるが、一度も発見出来たことがない。よほどうまく隠しているらしい。

   だが、ある日、土止めに使ってある落葉松の丸太が虫に食われて小さな穴だらけになっているので、細いノズルの付いた殺虫剤で薬を吹き込んでいると、落葉松の皮の表面に小さなシミのような、色が違う部分があった。虫の一部が見えているのかも知れないと棒でほじくると、風雨にさらされて変色したひまわりの種であった。種が丸ごと見えていれば、また木の表面から少しでも出ていれば何とか分かるのだが、ほんの一部が樹皮の筋目の間から覗いているだけである。「こんな風に隠していたのか」とすっかり感心した。やっと発見出来たという喜びに、ほのぼのとした気分になった。

   そう言えば南斜面の土止めの丸太のあちこちから季節外れのヒマワリの芽が出ている。よく考えてみると隠した種が雨に当たってふやけて芽を出したのである。
 小鳥の中でも、嘴が短く太い  、  などのアトリ科の鳥は、餌台に入り込み嘴の中でもぐもぐやりながら種を割って食べる。これらの鳥が居るときには、少し大きいので、カラ類は遠慮して周りの枝で待っているが、元気なコガラが隙を突いて種を持っていくと、他の小鳥も次々に飛来して取っていく。カワラヒワは「キロキロ」と鈴のような綺麗な声で鳴く。大人しい鳥なので、周りが騒がしくなると席を譲る。

   餌台に蜜柑や柿の実を刺しておくと、”ヒヨドリ”がやってくる。彼等は大形の鳥なので、食べる量も多く、何となくばたばたした雰囲気になり、他の鳥は全く寄ってこない。時々彼等の食べ残しを”メジロ”が食べに来る。

   周囲には「キッ、キッ」と独特の声を出して、  が沢山やってくるが、彼等は主に虫を食べるため、立木や土止めの丸太の虫を掘り出して食べているだけで餌台には来ない。キツツキの中でも”アカゲラ”は多いが、”コゲラ”や は非常に少ない。

   時々近くでキツツキのドラミングが聞かれる。それはキツツキが枯れ木に嘴で穴を空ける音である。機関銃のように速い速度でつつく。音は丁度鼓を叩いたときに出る音に似ていて、綺麗な澄んだ音である。とぼけた顔をして頭を激しく振っているのを見ると、何とも微笑ましい気分になる。

   近所の別荘の壁に直径7~8cmの穴が沢山開けられている。キツツキの好む壁面があるらしく、特定の建物が狙われる。穴をトタンで埋めてもすぐに別なところに開ける。一軒置いた隣の家は十数個の穴が開けられている。
 その家を建てた里の大工さんが時々埋めに来るが、とても面倒をみきれないようで増える一方である。

   キツツキに狙われる小屋の壁を見て歩くと、共通点がある。人が来る頻度が非常に少く、風化で表面の木目がざらざらし始めるほど古く、暗い色の塗料が塗って有り、板が比較的薄く、内側に空洞があることである。
 虫を狙うなら、あんなに大きな穴を開ける必要はないし、巣を作るなら、周りを穴だらけにする必要もない筈である。単なる習性のように思うが、本当のところは分からない。

   ごく最近、我が山小屋の南と西の軒下に直径10センチほどの大きな穴が一つずつ空けられているのに気が付いた。何時空けたのかははっきりしない。そこは白い穴あきボードで、材質はボール紙とモルタルを圧縮して固めたものである。敵は間違いなくキツツキである。何の目的で空けたかは分からない。勿論そこには餌になるものはない。下からブル下がるようにして空けたに違いない。
 これまで予測した共通の習性とは一致しない。とうとう自分の所もやられてしまった。
 翌年、ペンキを塗るときにその穴をふさいで貰ったが、一ヶ月もしない中に、直ぐ隣りに又一つ空けられてしまった。裏が空洞で、板が薄いことが、余所の被害の状況と共通である。どうも板の色や古さには依らないようである。

   我が家の尾根続きの別荘地に、老人と孫娘との二人暮らしの家がある。実家は下の里にあるが、ここ一、二年定住であるため、鳥との付き合いが特に深く、孫娘が餌を持って外に出ていくと周りの鳥たちが一斉に庭の真ん中にある餌台めがけて集まってくる。我々がその娘さんと少し離れて話をしていてもいっこうに気にする風でもなく、鳥たちは次々とやってきては餌をついばんでゆく。
 縁側には鳥籠の古いのが置き去りにされている。かつてその中に餌を入れたことがあるのか、開け放された鳥籠に小鳥が出入りしている。

   門に近い隣り合った二本の木にそれぞれ巣箱が掛けてある。向きは互いに見えないようにしてあるが、たった2メートルしか離れていないのに、どちらにも小鳥が営巣するそうである。巣箱を掛ける木はいくらでもあるのに、たまたま娘さんが近くの二本を選んだだけである。一般に巣箱は15メートルぐらい離すのが常識であるように言われているが、定常的に餌にありつける場所ではこのルールも成り立たないようである。
 この家では人と小鳥たちが共存しているのである。