★9章 春の北横岳へ (1999.3)

春の山は未だ冬の名残があり、時として冬山を想定しなければならないこともある。また雪崩などの危険も残っている。それ故、我々素人は天気の良し悪しの確認と中レベル以下の山を選択することにしている。

  山の専門家の友人夫妻と我々夫婦は、恒例の行事として、5月の連休に春山登山をすることになっている。今年は北横岳(2,473m)に行くことになった。夏であればハイキングコースであるが、この年は未だ雪が多く、特に尾根筋を外すと2メートルの雪も珍しくない。

  国道299号で麦草峠を越え、蓼科からピラタスまでケーブルで上がり、坪庭を通って北横岳へ向かい、帰りには三っ岳へ周って、雨池山を越えて再びピラタスに戻るコースを選んだ。

  先ずケーブルの終点から雪の坪庭の周回路を時計方向に辿る。途中までは坪庭見物の沢山の一般客と一緒である。我々のパーティーは四人で八つの目があるのに、うっかり途中で左へ折れる所を見過ごし、観光コースの坪庭を一回りしてしまった。もう一度注意深く歩くと、雪の堆積はあるが、殆ど見間違えることのないT字路と標識があり、ちょっと驚く。きっと左T字路の所で歩行者を右から抜いたのかも知れない。何とも腑に落ちないスタートであった。

  ゴロゴロした大岩を縫って、ほぼ平坦な雪道を30分も歩くと、急登になり、ジグザグに登る。急な北横岳ヒュッテの前で斜面が終わり、林の中でベテランの友人を除く三人は、安全のためアイゼンを着けた。しばらく登ると北横岳ヒュッテに着く。ここからは標高もあり、かなりの急登であるので友人もアイゼンを着けて深雪を直登した。30分も登ると横岳の南峰にたどり着く。更にほぼ平らな雪道を15分ほど歩くと、北峰に到着する。山頂は深い雪で覆われ、一段高い岩峰の上に、傾いた小さな石の祠がある。頂上には留まるところが無く、且つ深雪のため、すれ違うのがやっとの道しか無い。長居せず、南峰に戻る。
此処はそろそろ森林限界なので、頂上には余り木がない。風が通り抜けるが、春の日射しがあるため、それほど寒くはない。
雪に覆われた南斜面の木陰に車座になり、北横岳頂上での食事バーナーとコッヘルで湯を沸かす。食事をして一時間ほど休み、友人の説明で近郊の山や、遠く北アルプス、中央アルプスの勇姿を堪能した後、帰途に就く。

  帰りは深い雪の急斜面をずり落ちるように下る。速い。直ぐに北横岳ヒュッテである。

  一休みしている間に友人だけが七つ池の方に降りていった。なかなか帰ってこない。心配になって声を出したが応答がない。そうこうする中に下から現れた。「いやー、木の根の穴に落ち込み、体がすっぽり雪に埋まってしまい、なかなか出られなかったんだよ」と笑いながら話していた。「そして、池は見えたのか」と聞くと、「雪が多く近寄れず、全く見えなかったよ」と言う。夏なら歩いて3分の所に池があるが、今年は雪が多くて、進めなかったらしい。

  北横岳ヒュッテから少し下って三ッ岳方面に左折した。三ッ岳の頂上を背にしてしばらくは平坦であったが、三ッ岳に近づく頃から凹凸が激しくなり、大きな溶岩と雪が入り交じり、歩き難くなった。雪があると夏道が見えないので、先行の人達が、道を示す”赤符”を無視して適当に歩くため、ルートがはっきりしなくなる。時には急に行き止まりになり、行きつ戻りつした足跡がある。此処は大きな頂を幾つも越えるかなり厳しいルートである。

  特に雨池山への取り付きとその近傍は、雪の着いた岩や急なアップダウンのため、アイゼンがないと厳しい道である。それでも何とか雨池山を超えると、南斜面なので雪も殆ど無くなった。全員アイゼンを外した。

  その直後である。急な下り坂で、先頭の私が雪解けの土で滑って躓き、派手に空中に飛んだ。肩から前方へ一回転し、二段下の平らな岩の上に落ちたのである。気が付くと、手も着かず、足からバランス良く着地していた。リュックもちゃんと背負っている。なんたる偶然か。

  山歩きで転倒したのはこれが始めてであった。若い頃はスキーでよく崖から落ちたものである。何時も怪我をしないで済んでいるのは何とも不思議である。尤も60歳近くなってスキーで、何ともないところで膝を骨折したから、何時も附いている訳ではない。

  大きな転倒と、それに伴って発生する筈だった大怪我、でも何事もなかった事に対する複雑な気持からか、しばらくは、皆無言で歩いていた。

  でも、自分中心に考えてみるとその通りであるが、後でゆっくり考えてみると、状況は一変するので面白い。
つまり、みんなは下を向いて歩いていた。躓いたとき「コツッ!」と言う音は聞いているかも知れないが、一秒後に、二段下に「すっく」と降り立った私以外は見ていない筈である。とすると、私は50センチほど下の平らな石の上に飛び降りただけの事になる。別に大事件でも何でもない。皆は大分疲れていたので、その後無言で歩いていただけなのである。

  険しかった三ツ岳。真中に見える雪の白い道がルート

程なく雨池峠に降りた。ここからは、ほぼ平らな道となり、縞枯山荘の前を通ってケーブルの駅に着いた。低山では有ったが雪が多く、厳しい場所が沢山あり、何時になく緊張した春山歩きであった。

★10章 バーベキューの穴蔵作り

植木屋の心境
昔、腕のいい植木屋は庭作りを頼まれると依頼主の縁側でタバコを吹かしながら、何時間でも庭を眺めていたという。どんなレイアウトにしようか、植採の種類や石の大きさをどうしようか、段取りをどう付けるかなどを熟考していたのである。

 私の仕事はそれほど大げさなものではないが、少しばかり本気で床下にバーベキューの穴蔵を拵えてみようと思った。この工事は、傾斜した床下全体に渡る工事であることと、全て一人でやるので、素人としては結構大掛かりな工事になる。

 下へ行くほど緩くなる25度近く傾斜した床下に、どのようにバーベキューの穴蔵を造るかは案外難しい問題である。幸い床下は立端(タッパ)が高く、周囲以外柱が一本もない。棟梁が将来何かを作ることを想定して、そのように建ててくれたのである。

 傾斜地の途中から下の部分を削り取り、土留めをしてバーベキューに必要な平らな土間を造る。その土間は十分な広さが取れるのか、崩した土で土間全体はどれだけの高さになるのか、土留めはどんな構造にして何センチ立ち上げる必要があるのか等を読み取らなければならない。そんなことを考えていると件の植木屋の心境になるのである。

レイアウト
床下の広さは、建物全体から北側に並んだ風呂場、洗面所、トイレ、玄関、押入等を除いた広さである。この部分は全て布コンクリートで囲まれている。
北を向いて見ると、左右(長手方向)に約12メートル、前後に3.5メートルで、手前に約25度傾斜している。北端の上の土台に接している土の高さと一番低い南端の土台に接している土の高さの差は190センチある。

 全ての工事を一度にやるわけに行かないので、右から3メートルの位置に、枕木一本分(210センチ)の幅だけ土留め工事をやり、将来両側に少しずつ広げていく積もりである。バーベキューの炉を作るには、炉、椅子、足置き場を合わせて200センチ四方の土間が必要である。

 傾斜地の、南端から200センチ分を削って平らにすると、南端は崩した土で30センチ程上がる。逆に北端はバーベキューの炉40センチほどの土壁になる。その壁から上の土台までは水平距離で150センチ(350-200)ある。作った平地と北端の土台に接する土の位置との段差は、160センチ(190-30)になる。実際の断面形状は、160センチの高さから150センチ離れたところが40センチになっていることになる。この傾斜をどのような構造で土留めするかの問題である。

 そこで大雑把に、平地の北端の40センチの壁に80センチの土留めを作り、そこに上の土を崩して埋めて平にする。
その奥数十センチの所に、再び80センチの土留めを作ると、その奥が数十センチほど空くので、そこを平にして通路とし、その奥にある物入れを使う時の道とすることにした。

土留めの実際
土間の北端を枕木の厚さ(14センチ)分掘り進め、そこに枕木二本を積み、手前に二本の杭を打って止める。次に枕木のすぐ背後に、杭を二本打ち、その向こう側に再び枕木二本を積む。これで最初の80センチの土留めが出来る。

 こうやって出来た80センチの土留めの上面から奥に、平坦部を40センチ(枕木の幅を含めると54センチ)取って、同じ要領で、再び段差80センチの土留めを作る。その結果、最上段の平坦部の幅は、枕木の幅14センチを含めて約54センチとなる。結果的に、最上段と中段に54センチ幅の平らな部分が出来る。中段の平らな部分は、歩くために使っても良いし、一寸した物を置くために使っても良い。

 杭は土留めの枕木の腐る速度に合わせるため、自分で枕木から作った。
杭の必要な太さと長さは、土質によって大きく異なるが、これまでの駐車場の土留めの経験から5×7センチの角杭で、長さ140センチとした。

 枕木の積み方は、土面を十分突き固めて、その上に大小の砂利を敷いて、更に突き固め、水準器で厳密に水平、垂直を取り、その上に置く。更にもう一段積む。枕木は、建物の側面との平行も取る。

 重い枕木を扱うには一寸したノウハウが沢山ある。その一端を紹介する。

1)二本目を積むときは、ブロックを一枚横に置き、一方の端をその上に乗せてから他方を積む。何でもないことであるが、狭いところで、一人で重いものを確実に積むノウハウである。これをやらないと何度でも滑り落ちる。

2)また枕木の取り回しには長めの手鍵(40センチ程度、荷鍵とも言う)が非常に便利である。腰を屈めずに片手で枕木の一方を持ち上げられるので、腰への負担が極端に減る。但し、外れたときのことを考えて、下に足を置かないようにして、慎重に持ち上げる必要がある(足の爪先に鉄が入った長靴がうられている)。

3)杭は、最初の二段に対しては、両端から25センチの位置に、次の二段に対しては,40センチの位置に打つ。杭が前後に並ぶと、弱くなるからである。

4)一人で杭を垂直に打つのは案外難しい。枕木が杭に接触しないように奥へ少し逃がしてから打つのがコツである。少し打っては垂直を見る。実際には角度1~2度山側に寝かせて打つと仕上がりに安定感が出る。

 なお杭の外側に予め8番線を緩めに廻し、その両端を土留めの枕木に打ち付けた二本の釘に巻いて固定しておくと真っ直ぐ打てる。釘はコンクリート釘を用い、道穴を空けてから打つ。
杭が打てたら、奥に逃がして置いた枕木を杭に寄せて、後ろ側に土を詰め、十分突き固めて平らにする。

炉とベンチの製作
  炉は、出来上がりの安定感から、厚みのある(12センチ)重量ブロックを積んで作った。形状は土間の長手方向にブロック二枚の長さ(78センチ)とし、幅方向は一枚のブロックと両側から長手方向のブロックの厚みで挟んだ長さ(63センチ)とする。この大きさは、売っているバーベキュウ用の網が内側に丁度入る大きさである。

 なお、炉の中心を少し土留め側(北)に寄せて設置し、後で炉と南土台側のベンチとの間を通り抜けし易いようにした。

 先ず炉より少し大きめに深さ25センチほど地面を掘る。砂利を入れ、よく突き固め、霜で上がってこないように、”捨てブロック”6枚で基礎を作る。この時点で十分水平を出しておく。
その上にブロックを二段積み、最上段はブロックを寝かせて7枚積み、テーブルを兼ねる。このテーブルの大きさは、97×78センチになる。

 それぞれの段は、外周を8番線できっちりと巻き、互い違いに引っかけ合うようにして(単に撚り合わせたのでは締めたときに弛む)しっかり結ぶ。最後に四面のワイヤーをプライヤーでZ字型になるように締める。この際ブロックの四隅には、少し溝を掘り、ワイヤーが面で当たるようにしておくとしっかり締まる。

 この方法はセメントを用いないで、ブロックをガッチリ積む方法であり、私が編み出した方法である。各段は重みで繋がっているだけである。勿論ブロックの穴にモルタルを詰めて積めばなお良い。

 人に触れる可能性のあるブロックの角は危険防止のため金槌で叩いて丸める。この様にして作った炉の強度は大の男が縁に乗っても大丈夫である。出来上がった炉の高さは、50センチである。

 炉には適当な深さまで土を入れ、その上で焚き火をして灰を作った。炉の表面から天井(建物の床)までは3m以上有り、安全に火を燃せる。

 次に土留めの枕木の一部を利用して土留め側のベンチを造る。一番下の二段の枕木の上面に30×180×3センチの中空コンクリート化粧板(盆栽を並べる棚として売っている)を置き、ドリルで穴を開け、釘又は木ねじで枕木に止める。その際、枕木にも道穴を開けておかないと硬くて入らない。

 ベンチの高さは約43センチである。炉の反対側にも建物の土台のコンクリートに沿って同じ材料で180センチの長さのベンチを作った。なお炉の長手方向の両端にも小型のベンチを配置した。炉を囲んで10人程度まで座れる。

 ベンチはコンクリートで出来ているので、座ると冷たいので、表面にフェルト加工をした30センチ四方の柔らかいスポンジ板を両面テープで張り付けた。(このスポンジのフェルト部分は、3年程度で風化して粉が出るので、別な材料に替えた方がよい)
土留めを兼ねた背もたれにも同様の材料を貼った。フェルトの色はカラーコーディネートした。南側のコンクリート土台側の椅子は背もたれがないので、危険防止のため建物の柱を利用して、3センチ径のステンレスパイプを取り付けた。

 外から床下への出入りには、ブロックで階段を作った。

 土間の幅は、210センチ(枕木の長さ)で、その両側は泥の傾斜のままであるが、我ながら出来映えは上々である。杭の製作まで入れると、正味六日以上掛かったことになる。しばらくは灰作りのため小さな焚き火を楽しんだ。完成したベンチに座って外を見回すと高い小屋から見る景色と違って、地面が目の高さにあるため、落ち着いていて何とも気分がよい。<

電気配線
 後はブレーカーを介して電灯線を配線し、照明装置を付ける。先日の休みに大きなプロペラの付いた燻し真鍮の”シャンデリヤ”を買ってきて取り付けた。バーベキューの煙が淀まないように、プロペラ付きのシャンデリヤにした。配線に一日、シャンデリヤの工事に一日掛かった。シャンデリヤ自体が10キログラムで重いことと、天井が高いことから設置には意外と苦労した。

 シャンデリアには径90センチの八角の天板を付け、天井から50センチほど離して吊し、天井の無骨さとシャンデリアを感覚的に分離した。また天板は明かりの反射とプロペラによる煙の拡散のためにも必要である。

 枕木一本分の幅の土留め工事であったが、10日近く掛かった。将来、幅十二メートルに渡る土留をするにはどれだけ日にちが掛かるか今のところ予想が付かない。まあ、気長にやることにしたい。

 (その後、床下の土留めを全て完成させたのは四年後であった。更に、両端に本格的な木組み階段を付けて床下への出入りをし易くしたのはその次の年であった。)

★11章 新感覚の囲炉裏 (1999.5)  

 以前から囲炉裏が欲しいと思っていたので、バーベキューの炉を少し改造して、近代的な、ベンチのある囲炉裏に仕立て直してみることにした。
 改造と言っても、上から自在鍵を提げ、ブロックの炉の表面に囲炉裏を模した木のテーブルを被せ、炉全体を柔らかみのある材料で囲むだけである。

 家内が湯沢へ旅行したときに骨董屋で、使い古した裸の鉄棒で出来た自在鍵と内側が錆びた大きな鉄瓶を仕入れてきた。自在鍵は何の飾りもない最低限の機能があるだけであるが、村の鍛冶屋の手になるものであった。鉄瓶は表面に浅く絵が鋳造され、なかなかいい形であるがやや大きすぎる感じもする。

 その後、浅草の合羽橋の道具屋街に出かけて行き、数人分の調理ができる鉄鍋、昔懐かしい鋳物の火消し壺、五徳、鉄瓶から湯をくみ出す竹の柄杓等を買い求めて来た。
 合羽橋の一角に民芸骨董の店があり、棕櫚縄を巻き付けて飾った艶のある竹の筒と木彫りの鯉の滑り止めが付いた立派な自在鍵が売られていた。値段は数万円で、凝ったものは10数万円であった。

 山小屋で、二月の或る土曜日、スキーもそこそこにして、自在鍵を包む竹の飾り筒を作ることにした。
 直径7、8センチほどの古い”もうそう竹”と黒い棕櫚縄一束を八千穂村のホームセンターで買ってきた。竹は何用に売っているのか知らないが、肉厚で、節の外側が綺麗に処理されていた。
 この竹を二つに縦割りし、節の処理をして中に自在鍵の鉄棒を仕込み、再び合わせ、棕櫚縄で幅広く巻けばよい。

 先ず、もうそう竹の必要な長さを決め、それより一節長めに鋸で切る。鉈を入れた時に出来る傷跡を後から切り落とすためである。また竹を真半分に割るために、くねりが最も少ない方向に鉈を入れる。
 割れた半分同士をずれないように併せ、紐で堅く結ぶ。そして予定通り先端の一節を鋸で切り落とした。

 次に鉄の自在鍵を割れた竹の内側に載せ、動き側の鉄棒の輪がスムーズに動くように両端を残して節を綺麗に削り取った。動き側の鉄棒が必要以上に下がらないよう、また竹がずり下がらないよう、両端の節には、鉄棒が通るだけの穴を開けた。自在鍵を仕込んだ竹筒は、外から棕櫚縄で縛るが、飾りを兼ねて三ヶ所ほど幅広く巻いた。実際には竹を割らず節を抜き、後で上端に引っかかりを付ける方が割れ目が入らず綺麗に出来る。

 天井にはフックを取り付け、8番線を介して自在鍵を吊した。
 早速鉄瓶を掛けてみた。鉄瓶の持ち揚げ代、竹の筒と鉄瓶との距離のバランス、鉄瓶を上に揚げたとき、鉄板焼きで邪魔にならない高さになるよう8番線の長さを調節した。

 バーベキューをやるときの鉄板や網を置く台を囲炉裏の中に作った。直径1センチ、長さ180センチのステンレスパイプ二本をコの字形に曲げて、囲炉裏の内側の縁に沿って差し込んだ。囲炉裏の中は、表面が灰で、下の方は土になっている。だから、差し込む深さで、鉄板や網の止まる高さの調節が出来る。それぞれの足の途中に鉄のクリップを付けて、その出っ張りが、ブロックの角に引っかかるようにした。クリップの位置を変えれば、自由に高さが変えられる。

 更に火起こしのバイブル、新案火吹き竹を作った。長さ90センチ、直径1センチの細目のステンレスパイプの先を潰し(先に釘を一本入れて叩きつぶすと、綺麗な穴が出来る)、反対から吹くと火吹き竹になる。使ってみると火吹き竹は、もう少し太く直径1.5センチ径、もう少し短い7、80センチ位の方がよい。
 囲炉裏の横の見えないところに火吹き竹を置くフックを付けた。

 最後は、バーベキュー炉を柔らかい囲炉裏の雰囲気に変えるキーポイントであるテーブルの製作である。
 厚さ1.5センチ、幅24センチのラワン板を四隅で45度に接合し、周囲に同じくラワン材で3センチのスカートを付け、囲炉裏の上に載せた。
 45度の板の接合には、裏から1センチの深さに波釘を三個づつ打って止めた。これだけでは接合の強度は出ないが、炉の上が平なので大丈夫である。

 全体を艶消しの透明ニスで仕上げると、自在鍵と鉄瓶が一層栄えるようになった。またガラス器なども安心して置けるようになった。
 角が45度に合わさった天板は、思ったよりずっと美しく、趣がある。

 ブロックを寝かせて作ったこれまでのテーブルは19センチ幅であったので5センチ広がって、とても使い易くなった。
 山小屋の囲炉裏としては我ながらいい感じに出来た。これで何時、人が集まって来ても大丈夫である。

 その後何回か使ってみた。囲炉裏に座って眺める庭の景色は、高い位置に有る部屋から見降ろす景色とは異なり、地面から空まで景色が繋がって見えるため、非常に落ち着いた感じになる。

 私と家内は4月に入ってから暖かい日には、夜でもここで食事をする。囲炉裏の火を熾し、お茶を湧かしながら、林に囲まれて食事をすると、ベランダで食べるよりずっと山小屋の雰囲気が出て安堵感がある。夜は少し冷えるが、膝に毛布を掛ければしばらくは大丈夫である。
 南向きの傾斜地と言うのは天気さえ良ければ、想像以上に暖かいもので、三月に入れば、結構楽しめる日が多い。同様に11月でも使える日が多いものである。

 しかし、ここに一寸した問題が起こった。この炉を一年を通じて使うと、湿気による木の伸縮のため、特に6月では、テーブルの中心が3センチも持ち上がって傘型になってしまうのである。
 ラワン材の湿気による縦と横方向の伸び率が違うために起こる現象である。特に外気の中に置いてあるので、季節による湿度の差をまともに受けてしまう。

 そこで、45度の合わせ目の下側全面に四角い板を裏から当てて多数の木ねじで留め、強制的に伸びを抑える方法を取った。これにより、反りは全く無くなったが、合わせ目が1ミリ程空いてしまった。又、季節毎に合わせ目の隙間の間隔が僅かに変わる。
 ベニヤ板なら縦横の伸縮率が同じなので狂わないが、表面が余り綺麗でないので使いたくない。太くて厚い材料を囲炉裏に使うときは、伸縮による変形を避けるため、四枚の板を巴に組んで使うのが常識である。

 しかし四隅を45度に組む木の美しさは格別であるので、若干隙間は空くが裏板を当てて強制的に伸びを止めたテーブルを使い続けている。

★12章 5月連休日記  (1999.5)

 五月の連休は、別荘地が最も賑わうときである。一年ぶりで会う人も多い。今年は4月30日を休めば、7連休になるので、来る人も多いと思う。
  30日の夜、雄猫のロッキーを連れて家内と山小屋へ向かった。今年は二人だけで春山に行こうと思っている。

5月1日 (近隣とのバーベキュー)
 今日は快晴で、窓から見える八ヶ岳は雪を被って眩しいくらいにくっきり浮き出ている。我々は昨夜遅く到着したので寝不足気味で、山に出かける気になれなかった。私は仕掛かり中だった床下の戸棚の扉を製作し、家内はパソコンで、メールだ、インターネットだ、デジカメだと夢中になっていた。

  午後になって、二人共切りがついたので、買い物に出掛けた。今朝散歩の時、下のSさんに今年初めて会ったので、「今晩一緒に食事をしましょうよ」と誘っておいた。彼女は、「後から娘が来るけど一緒に行って良いかしら」と言うので、「勿論大歓迎ですよ」と答えた。家に戻ると、家内は「珍しく来ているお隣の篠崎さんの奥さんも呼んだら」と言う。「それはいいね」と声をかけることにした。床下に囲炉裏も出来たし、久しぶりに別荘の人達と囲炉裏でバーベキューをすることにした。肴はこの間、弟と食べて味をしめた岩魚と決めた。

  岩魚は、下の大石川の養魚場へ行って、生きた奴を15匹ほど仕入れた。その他、肉や野菜を仕入れて小屋に帰り、私は火を熾し、家内は下拵えを始めた。

  先ず、自在鍵にぶる下げた鉄瓶でお湯を沸かし、お茶を飲む。八千穂の水は本当に旨い。次いで、網を出して岩魚を焼き始めた。家内が佐藤さんを呼びに行った。隣の篠崎さんも呼んだ。佐藤さん母娘と篠崎さんの奥さんと我々5人でバーベキューが始まった。
  Sさん母娘が持ってきてくれたツクシの煮物、蕗の味噌和えが何とも乙な味で、バーベキューを引き立ててくれた。

  篠崎さんは、「岩魚が余り美味しいので、娘夫婦も呼んでいいかしら」と小声で囁いた。「いやいや、気が利かなくて申し訳有りませんでした。実は、我々は初めから呼びたかったのですが、これまでに一度も言葉を交わしたことがなかったので、つい言いそびれていたんですよ。どうぞどうぞ、是非呼んであげて下さい」と言うことで、Sさんの娘さんに、二人の若者が加わって、急に華やいだ雰囲気になった。彼はロッククライミングを趣味とする好青年で、私も飲み仲間ができて嬉しかった。明後日には川上村の有名なキャンプ場”廻り目平”にあるロッククライミングサイトに行くそうである。

  佐藤さんの娘さんは、慈恵医大の講師をしていて、つい最近結婚したばかりである。いつも母娘で来るさっぱりした仲の良い親子である。

  今晩は満月である。岩魚を焼き始めると、東の空から月が上がってきた。色々な話に花が咲き、網を鉄板に切り替えてバーベキューに移り、定番の焼きそばを作る頃には月が真上に来ていた。私も久しぶりに旨い酒を飲んだ。また是非やりましょうと言ってそれぞれの小屋に戻っていった。

5月2日 (馬場さんちのアメリカンショートヘア、春の野鳥)
  若干二日酔いで、山登りには行かなかった。家内は相変わらず、パソコンに夢中で、私は地下で戸棚の扉を仕上げていた。

  昼頃突然隣の馬場さん夫妻が娘さんを連れてやってきた。よく見るとアメリカンショートヘアを連れている。私のところに同じ猫が居て歩き回っているのを見て、顔合わせに来たのである。私のところの猫より全体にやや白味が強く、実に人懐こい可愛いらしい猫である。我が家のロッキーも人懐こいが、それにも増して人懐こく、猫に対しても”猫見知り”しない。ロッキーに近づいて行くが、ロッキーは気圧され気味でびびっていた。
  猫を挟んで小一時間会話が弾み、親交を暖めた。馬場さんの娘さんも高校三年で受験を控え、つかの間の休暇のようであった。

  その後、庭を一回りすると、沢山のスミレがあちこちで花を付けている。種類も数種類有る。

 後一週間もすると黄色いキジムシロと一緒に満開になるはずである。   いつもの栗の木の下やカラ松の下に一人静かが群生し、濃い緑の四枚葉と、やはり濃い紫がかった茎に真っ白な筆の先のような花を付けて満開である。下の道路に近い何時も一人静かの生える場所には、今年は一本も生えず、たった一つ筆リンドウが薄紫の花を付けていた。余り小さいので踏まないように棒を立てようと掘ってみると、一人静かは地中で下を向いて隠れていた。一番暖かい土手なのに一番後から出てくるのは一寸不思議な感じがする。日当たりは良いが、風の通り道で、実は寒いのかも知れない。

  落葉松の葉もすっかり青みを増し、葉はもう1センチ以上にもなっている。モミジや楓も少しづつ赤い新芽を広げ始めた。自然に生えた白樺もいつの間にか十数本に増え、2メートル近くになっている。先端から無数の若草色の葉を2センチ程出している。落葉松と並んで春を彩る初々しい葉っぱである。 

  今日は、頭のてっぺんと腹の部分が白く、その他の部分は真っ黒な珍しい野鳥を始めてみた。図鑑で確かめると”山椒食い”であった。家内と望遠鏡を奪い合って眺めた。また久しぶりに最も小さなキツツキの”小ゲラ”が来た。木の枝を端から順に餌を探しては、別の木に移って行く。また玄関先の落葉松の低い枝の周りに、滅多に来ない”黄セキレイ”が二羽、鮮やかな黄色を見せながら忙しく飛び交っていた。
  今晩も木に囲まれて食事をしようと火を熾し始めると、ロシアからの渡り鳥で、今年初めての”あかはら”が二羽「キョロン、キョロン」と鳴きながら林の小道を歩いて横切っていった。”あかはら”は夕方からよく鳴く鳥である。

  夜は曇って、冷えてきたが、毛布を膝に掛け、家内と二人で、あり合わせのおかずとおにぎりを焼きながら、遅くまで囲炉裏端で木々に囲まれて座っていた。 天井と北側以外、何の囲いもない地下の囲炉裏は周りの林と解け合って、自然の中にいるなあと実感出来る場所である。側で鉄瓶がしゅんしゅんと鳴っている。時々柄杓で湯を汲んでお茶を入れる。静かな至福の時である。

5月3日 (春の縞枯山)
 今日こそはと、春山に出かけた。八時頃車で小屋を出て、麦草峠に八時半過ぎに着く。今日は、茶臼山、縞枯山を経て雨池へ降り、そこからほぼ平らな道を麦草峠に戻る約五時間のコースを楽しむ予定である。

  茶臼山への途中、かなり手前から雪が残っている。数十センチ以上は有ろうか、春特有の腐った雪で、道の中心を外すと足を膝まで取られる。余り傾斜は無いが、歩きやすいように家内はアイゼンを着ける。所々に泥が露出したところもあるが殆どの道は数十センチから一メートルの雪で覆われている。途中尾根筋から離れて茶臼山の展望台へ向かう。展望台からの景色は、雲がやや多く、いつもなら北アルプスや中央アルプスが見えるのだが、今日は今一つであった。再び縞枯山へ向かい、頂上の手前の南斜面でバーナーとコッフェルで湯を沸かし、蕎麦を造って食べた。

  そこに反対方向から若い上品な娘さんが、一人、半袖のシャツでやってきて我々の隣りに腰を下ろした。「一人ですか」と聞くと、「ええそうです」と言う。「どちらからですか」と聞くと、「麦草峠から雨池へ行き、同じルートを帰ってきたところです」と言う。我々と同じコースを既に帰るところだと言う。たいていの人は雨池からほぼ平らな道を麦草峠に戻るが、彼女は雨池から再び険しい尾根筋にとって返し麦草峠に帰るという。
  蓼科辺りの別荘のお嬢さんかも知れないが、なかなか健脚である。

  縞枯山の頂上はこめ栂などに覆われていて見通しが悪い。また頂上の標識は1メートル程出ているだけで可成りの残雪である。頂上からの下りは急な雪道が雨池峠まで延々と続く。ここはアイゼンが嬉しい。雨池峠は日が当たる暖かい場所なので雪はすっかり溶けて泥だらけになっていた。しばらくアイゼンを外し、雨池への急な下りから再び着ける。下の林道はずくずくの腐れ雪で歩きにくい。林道を20分も歩くと雨池の入り口になる。そこから五分ほどで、「ぴちゃぴちゃ」と音を立てて小さな波が寄せる雨池に着いた。池の周りは雪で覆われているが、既に春で氷はない。この池だけは畔に山小屋がない事もあって、私の最も好きな池の一つである。いつもながら静かで、今日は人影もまったくない。
  畔に佇んで、しばし北八特有の黒い森を背景にした静寂を楽しむ。家内持参のディジカメで二三枚写真を撮った。しばらくして池を離れ、林道を経て緩やかな林の中の雪道を一時間余り歩き、麦草峠に戻る。三時であった。猫のロッキーがお腹を空かして待っている筈なので、急いで帰途に就いた。

5月4日 (土の処理)
 5月4日は朝から霧雨であったが、昨日の夕方、業者が急遽運び込んでくれた二トンの土を二つのバケツで床下に運び込んだ。床下を平坦にするための土入れである。昼は丁度来た佐藤さんの奥さんを誘って一緒に囲炉裏を囲んで簡単な焼き結びの食事をした。午後からは霧雨が小雨に変わったが、土を運び続けた。一日で殆どの土を運び込んだ。相当のアルバイトであった。

  ラジオは昨日から、帰省帰りの道路情報を伝えていた。何処も何十キロの渋滞である。明日も同じように混むだろうと言う。我々も猫を連れているので、余り混んでは困ると、5月5日の朝早く帰ることにした。

5月5日 (帰省)
 5月5日は、五時に起き、六時に出発した。東京には九時に着いた。全く渋滞はなかった。道路情報は完全に外れて一日中渋滞はなかった。

   五日間の連休は終わった。今年は体は忙しかったが、快い充実した休であった。

★13章 別荘地の人々 (1998.12)

 別荘地には、色々な人が居て、人柄に応じた多彩な使い方をしている。

Sさんのこと
 我々の小屋の直ぐ下のS夫人は、法政大学の博士課程を出られたおばさんで、時々娘さんを同伴してくるインテリである。何時も私と同じようにゴム長を履いている。この別荘地を歩き回るにはゴム長が最も適している。

  小海線の八千穂駅からリュックを背負ってよく歩いて登ってくる。中身は主に食料で、それが底をつくと帰っていく。バスが有る季節にはバスで来るが、あまり当てにしていない。8キロ近い距離があり、高低差は400メートルもあるので3時間近く掛かる筈である。私より年上だが、「私は考古学をやっていたから山には慣れているのよ。特に下りが強いので下りの佐藤さんと言われてたの」と平気な顔をしている。
  途中の畑で野菜を分けて貰ったり、季節毎に変わる田圃や山の風景を味わったりしながら登ってくるのが好きなようである。

 来ると比較的長く滞在している。一日中ワープロで書き物をしているらしい。

 彼女の別荘は隣にもう一軒ある。もう25年以上前から居る人で、「あの建物は大工がいい加減に建てたので、壊れそうで危険だからもう一軒建てたのよ」と言う。確かに古く華奢な建て方だが、住めないほどには見えない。
  時々我が家に来て、だべって行ったり、我々がお茶を戴きに行ったりする。さっぱりした良い人である。私が土木工事ばかりしているので、何時も「よくやるわねー」とあきれ顔で言う。

昨日も夕方になって娘さんを連れて亀有の煎餅を持ってやってきてくれた。丁度試飲のためにワインを二本開けたところだったので、飲み比べながら世間話をしていった。あまり飲めないようであるが、楽しそうであった。
  「明日は我々は山登りに行くんです」と言ったら、「帰りはいつ頃ですか」と聞かれた。「夕方になると思いますよ」と答えると、「昨年拾い集めた山栗でお菓子を作って持って行くわよ」と言うので、「有り難うございます。楽しみにしています」と言ったが、来なかった。
でも、よく考えてみると、「帰りはいつ頃ですか」と言うのは、何時東京に帰るのかという意味だったらしい。我々はその日に東京に帰ったので作るのが間に合わなかったのかも知れない。悪いことをした。

堀越さんと彼に纏わる人々
  彼は若い頃は本格的な山屋で、エネルギッシュに色々なことをやる。最近最もエネルギーを注いでいるのは陶芸で、色々なジャンルを手がけている。中でも特徴的で素晴らしいのは、赤く錆びた鉄で出来たような陶器で、色々な形をした壺が山荘に並んでいる。窯は自宅の方にあるそうであるが、作品が多すぎるので広い山荘の展示室に並べている。

  彼は社交家で行動的な人である。茸や山菜にも詳しく、この間も紫シメジの大きな塊を「小屋の直ぐ側で採ったんですよ」と、そっくり分けてくれた。
  彼は私と同じように、一人でも山荘にやってくる。いや、むしろ一人の時の方が多い。山で好きなことをやるのが嬉しいのである。私もしょっちゅう彼の小屋に出入りしている。彼の周りには何時でも新しい情報が溢れているので、実に楽しい。

 五月の連休の二日目であった。昨日も今日も小雨で家に居たら、堀越さんから電話があった。「今、大工の棟梁の富田さんの穴蔵で、イワナを焼いているところだから来ませんか」との誘いがあった。早速雨の中を車で出かけた。

 富田さんの穴蔵は、一方が土手を削って作った壁で、一部ブロックで土止めをしているが、木の根や泥がむき出しの”またぎ”の小屋のようで、かなり大きい。泥壁の側に大きな囲炉裏があり、その枠は立派な柾目のケヤキで出来ている。その中に炭がくべられ、網の上にイワナが沢山焼かれている。横には村の旧家の黒沢酒造が酒造りに使っていたと言う革製の汚い吹子があり、足で強く踏むと炭が赤く勢い付く。下は土間である。そこには、富田さんは勿論、常連で登山家夫妻の池田さん、堀越さん夫婦、堀越さんのお兄さん家族、お孫さん達等8、9人が居て、既にイワナで点でんに酒盛りをしていた。堀越さんは朝の7時からずっと飲んでいて、既に十分出来上がり、富田さんの穴蔵であるが、自分の小屋で有るかのように楽しそうに迎え入れてくれた。

  気の置けない人たちの寄り合いで、皆自分の家のように自由に振る舞っている。去年知り合ってバーベキューの炉を作ってあげた指宿さんも此処の常連だそうであるが今日は見えていなかった。また山一つ隔てた鷽ノ口の別荘の水沢さんも常連だそうである。水沢さんは元新聞記者で、鷽ノ口の別荘を舞台に一冊の楽しい本、”山小屋物語”を書いている。私も何回も読んで昔からの知り合いのように感じている人であり、一度会って話してみたいと思っている。此処に来ればきっと何時か会えるかも知れない。

 私は川魚はあまり好きな方ではないが、此処のイワナの旨かったことと言ったら無かった。生きたまま焼くイワナで、炭ですっかり脂が抜けて生臭くなく、さっぱりとしている。手掴みで食らいついて食べたが、こんなに美味しい川魚は初めてであった。いつもは古い魚を食べていたのかも知れない。それにしても炭で焼く魚は旨い。自分でも山小屋で、ザ・シチリンなる金属製の七輪を買ってよくサンマを焼く。今日のイワナは七輪で焼くサンマより美味しかった。

 途中で富田さんは用があると言って一人帰っていった。後は二軒隣の池田さんが火の始末をするらしい。一時しゃべった後、池田さんの家の工事計画の話が出て、池田さんの家に行こうと言うことになった。池田さんは三年前に富田さんの建てた家を中古で買い、その家の改装を再び富田さんに頼んでいた。やはり囲炉裏小屋を作り、その先に露天風呂を作るのだという。その計画と周りの雰囲気を説明してくれた。皆よく来る人たちで、それぞれの趣味と計画を持っている。

 堀越さんは、先々週、雪で倒れた木に着いている花が余りいい匂いがするので、家内と一緒に生け花用に採っているときに知り合った人である。言葉が非常に丁寧であるが気さくな人であった。立ち話をしているうちにコーヒーでも飲んで行きませんかと言われ、近くの彼の小屋におじゃました。別荘地で最も標高の高い景色の良いところにあって、これも八年前に富田さんの作を中古で買ったとのこと。路との段差を利用した比較的大きな三階建ての家で、夏用の家であると言う。木材は一部古電柱を用いてあるが、如何にも別荘らしくて、とても良い建物である。彼は山へも行くし、スキーもやるので富田さんに冬用の建物をもう一軒作って貰うことになっているそうである。

ポール・パンソナさんのこと
  ある日女房と別荘地を散策していると、外国人が植木の手入れをしていた。どちらからともなく話しかけて、工事の話が弾んだ。目の前の大きな山荘を奥さんと二人だけで作ったと聞いてビックリした。とても素人の作とは思われない立派な山荘である。私も何時か自分の小屋の床下に部屋を作ろうと思っていたので非常に興味が湧いた。

  見て行かないかとの誘いに、二つ返事で中を見せて貰った。中には日本人の奥さんが居た。この方も、気さくでとてもいい人である。
  造りは三階建で、二階から入る。いかにも山荘らしく自然の木をふんだんに使い、部屋毎に異なる雰囲気を持たせた凝った造りであった。風呂場やキッチンなどの水周りも全て自分たちで造ったとのこと。水周りはこんなところに工夫をしたとか、キッチンのデザインはこんな考え方でやったなど、なかなかの出来であった。
  案内して貰う部屋毎に変化があり、次はどんな雰囲気だろうかとわくわくする。一階は息子さんのバンド音楽が出来るよう、やや広い部屋になっていて、あちこちに楽器が置かれていた。彼は青年モデルとして売り出し中で、男性スタイル雑誌やテレビなどによく出てくる。

  庭に出るとバーベキュー広場がある。古い枕木を並べて平地を造り、真ん中に炉が切ってある。軽トラックを借りて、ある場所から枕木を運んできたそうであるが、何せ一本60キロもある。10数本積んで車を一台壊してしまったそうである。
  我々はその後、時々寄るが、行く度に何かしら変化がある。ベランダの形が変わったり、部屋が増設されたり、駐車場が出来ていたりする。実に気軽に改装する。思いつくと直ぐやってしまうらしい。奥さんと二人掛かりだから速い。

 パンソナさん曰く、「こんな面白いことを、金を払って人に頼む手はない」、と言うのが彼の哲学である。

 彼の家の近所に、同じくフランス人仲間のラザロンさんが、この辺りでは珍しい豪邸を建てることになった。彼は工事の間パンソナさんの家によく来ていた。フランス人なので、集まるとお茶替わりにワインをよく開ける。パンソナさんは人が良く、お昼の食事も自分で作り、私を含めたお客さんにご馳走してくれる。何でもやる人である。

 最近はインドに凝っていて、時々インドに行っているそうである。目的はインドの民芸品や工芸品を買い付けて日本で売るのだそうである。これまでの本業である日本のベルリッツ語学学校の教授を止めて商売替えをするらしい。彼は本当にエネルギッシュである。

 ある日八ヶ岳南部の別荘地、甲斐大泉に行ったとき、俳優の柳生さんが経営している八ヶ岳倶楽部の店に寄った。そこに偶々インドの民芸品が置いてあった。聞いてみたら、やっぱりパンソナさんがインドで仕入れたものであった。

 我々の別荘地にはフランス人が4人住んで居る。何れも奥さんは日本人である。もう一人はチュビさんと言い、パンソナさんとラザロンさんの家の下の方に住んでいる。来る回数は余り多くない。更に一人居るが、未だ紹介されていない。

指宿さんのこと
  パンソナさんの少し先に指宿さんの別荘がある。ある日通りがかったら、指宿さんと奥さんが大きな木を切り倒して運んでいた。作業が何より好きな私は例によって眺めていると、何となく話が始まり、「どうぞお入り下さい」と言うことになった。
  家の造りがまたユニークである。一見細い三角形のケーキを立てたような別荘で、高さが20メートルもある。内部は思ったよりずっと広く、これも富田大工さんの作であった。一番高い部分にご主人の書斎がある。後で付けたのだそうだが、鍾乳洞の中に掛けた観光用の梯子のような階段を上がって行く。手摺りがしっかりしているので別に怖くはないが、自然木を使った趣味溢れる建物である。

 しばらくおじゃましてお茶と指宿さんお薦めのニンニクライスをお昼にご馳走になった。趣味の刀剣の話を聞いた後、やおら別の部屋を紹介してくれることになった。一階の隅の床をスライドすると地下階段が現れ、緩やかな階段を下りて行くと、そこは傾斜地であるため南面だけが窓になった和洋折衷の地下応接室である。わざと暗く作ってあり、壁はこの土地で採れる鉄平石造りで白熱灯で間接照明している。魔法使いの家を思わせるような暗い部屋で、壁には写真と見まごうばかりに書かれた自筆の鉛筆画が何枚か掛けてある。此処はお客さんと酒を酌み交わす部屋なのだそうだ。とても趣味溢れる楽しい別荘である。

 たまたま外周りの話になった。裏山に案内してくれ、自然の石や山野草の話をしながらバーベキュウの炉の話になった。「どうもあまり出来が良くないので作り直そうと思っているんですよ」と言うので、「その中私が造ってあげましょう」と言うと、気安く「そうですか」と言う。私はすっかりその気になっていた。冬には来ないので次に来るのは来年だという。「構いませんよ。私が勝手に来て造っておきますよ」と言っておいとました。

 この様な作業が根っから好きな私は、仕事が出来たと、浮き浮きして帰った。早速図面を引き、イメージを作って次の週から作業に取りかかった。
  地面をならし、土台の下に霜除けの砂利を敷き、丁寧に耐火ブロックを積んだ。立って使う炉がよいと言われるので、四段ほど積んだ。周りを八番線で巻いて締める。この締めがコツである。角にずれないように小さな溝を掘り、各段毎に八番線を巻く。軽く締めた後、四方の直線部の八番線をプライヤーで挟んで捻る。 針金にZ型のパタンが出来る。これで完全に締まる。一番上のブロックは横に倒して並べ、同様な方法で締める。そこが皿などを置く少し広いスペースになる。セメントも何も使わない。これが私の工法である。
  丸鋸でブロックを二つに切って空気の取り入れ口を二段北側に付ける。上にプラスティック板で蓋を造って雨除けとし、風で飛ばないようフックを付けて完成である。

 翌年の春になって指宿さんは喜んで何度かお礼に来てくれたらしいが、たまたまその時期に行かなかったので大変失礼してしまった。故郷の名物を戴いたり、食事のご招待を戴いたり大変なことになってしまった。自分の趣味でやって喜ばれたと知るだけで十分である。後は何も要らないが、相手にして見れば何とか喜びを表したい気持ちも分かる。いずれにしても嬉しいことであった。

 後で堀越さんと知り合って、指宿さんが富田さんの穴蔵の常連であることを知った。また穴蔵の側の池田さんから、「指宿さんの炉を造ったのは貴方でしたか」、と言われてビックリした。そういえば指宿さんの家は富田さんの作だし、指宿さんが富田さんのお子さんの仲人をした話を聞いていた。どこかで皆繋がっている。狭い社会である。この別荘地の大半は富田さんと、そのお弟子さんの高見沢さんが建てていることを初めて知った。村の別荘地とはこんなものかも知れない。

池田さんのこと
  別荘地の人の話の中に度々出てくる池田さんの話を抜かすわけには行かない。
彼は大学時代に山岳部で活躍した人で、夫婦共に山のプロである。
  彼の小屋には山仲間の小高さんがよく遊びに来る。池田さんも小高さんも物造りが好きなので、二人でやるので結構大掛かりなものまで作ってしまう。
  パンソナさんとは少し趣が異なり、どちらかというとアウトドアに関する遊びの舞台装置は自分で作り、本格的な建物は富田大工さんに作ってもらうようである。

 彼の所も行く度に何か新しい物が出来ている。一昨年は富田さんに囲炉裏のある部屋を作ってもらった。次の年にはその側に野天風呂を小高さんと二人で造ってしまった。それも実に良くできている。着替えの場所もあるし、裸で涼むベランダも付いている。更に驚く無かれ、奥にサウナまである。更に野天風呂の雰囲気を出すために、八ヶ岳が見えるように庭の景観整備も行っている。

 また風呂の前方の落葉松の木の上には、トムソーヤー顔負けの樹上小屋が出来ている。池田さんと小高さんが作ったのである。その小屋は二階建てで、一間余四方の大きさがあり、中で昼寝をしたり本を読んだり出来るようになっている。

 その後、休む間もなく富田大工さんに頼んで、裏に大きな納屋を作った。更に隣の一区画が空いていたので借り受け、1メートル以上有る大石を二十個ほど積んで立派な石垣を築き、池田さんのお母さんが住む家を建ててしまった。そうこうしている中に今度は山仲間の小高さんの山荘を庭に建て始めている。思ったら実行する彼のエネルギーには吃驚するしかない。今度は一体何が出来るのだろうか。

女性軍の店
  ある日池田さんの所にぶらりと立ち寄った。池田さん夫妻と囲炉裏を囲んで話をしていると、池田さんの奥さんが、「今度女性だけでお店を始めたの」と言う。「えっ、何処に?何の店?」と、すかざず私。「パンソナさんの奥さんと地元黒沢酒造の親戚で野鳥に詳しい黒沢さんと、地元の建設業兼農家の須田さんの奥さんの四人で始めたの」。「場所は?」、「ほら管理棟の横に昔売店があったでしょう。あれを借りて改修したの。中は結構広く、営業用の調理器なども揃っていて食堂もやれる設備があったのよ。勿論食堂はやらないけど、冷蔵庫が使えて便利なの。改修には旦那衆が協力して作ってくれたの」と言う。

 「何の商売をやるの」と私。「一度来てみてよ」と池田さんの奥さん。池田さんのご主人が横から「男には一切口を出させないで、自分達だけでやると言ってるんですよ。開店は春から秋までの土曜、日曜だけなんです。ま、お遊びみたいなものですよ」と、口を挟む。「賃料が安いので別に儲からなくても良いんですよ。彼女たちの集会所ってな所ですかね」と軽口をたたく。
  パンソナさんも池田さんも須田さんも永住だから、黒沢さんだけが別荘族である。「じゃ、私は行ってくるわ」と池田さんの奥さんはそそくさと店に向かって出ていった。

 私は彼女たちを全て知っているので、その午後、早速行ってみた。管理棟と彼女らの店は国道299号に面していて、駐車場も有り十台以上置ける。駐車場を挟んで対面にログ調の公衆トイレもある。八ヶ岳高原に遊びに来た客が一休みしていける場所である。その隣りに須田農園で取れた野菜の無人販売小屋があるところである。

 女性の店らしく、コーヒーが飲めるだけでなく、ドライフラワー、須田さんの野菜、木の根で作った置物、パンソナさんがインドで仕入れた日用品や小物類等の土産品が女性の趣味で綺麗に並べられている。名前は忘れたが、自然木から切りだした板で看板が作られ、店の名前が書かれている。また道路際に看板の幟が一本立てられている。これも亭主達の作である。

 缶ジュースをご馳走になりながら中を見せて貰った。亭主達がとっかえひっかえ来ては内装を手伝っている。みんなで店作りを楽しんでいる。経営は彼女たちであるが、客よりもみんなが楽しむ場所になりそうである。