別荘地には、色々な人が居て、人柄に応じた多彩な使い方をしている。

Sさんのこと
 我々の小屋の直ぐ下のS夫人は、法政大学の博士課程を出られたおばさんで、時々娘さんを同伴してくるインテリである。何時も私と同じようにゴム長を履いている。この別荘地を歩き回るにはゴム長が最も適している。

  小海線の八千穂駅からリュックを背負ってよく歩いて登ってくる。中身は主に食料で、それが底をつくと帰っていく。バスが有る季節にはバスで来るが、あまり当てにしていない。8キロ近い距離があり、高低差は400メートルもあるので3時間近く掛かる筈である。私より年上だが、「私は考古学をやっていたから山には慣れているのよ。特に下りが強いので下りの佐藤さんと言われてたの」と平気な顔をしている。
  途中の畑で野菜を分けて貰ったり、季節毎に変わる田圃や山の風景を味わったりしながら登ってくるのが好きなようである。

 来ると比較的長く滞在している。一日中ワープロで書き物をしているらしい。

 彼女の別荘は隣にもう一軒ある。もう25年以上前から居る人で、「あの建物は大工がいい加減に建てたので、壊れそうで危険だからもう一軒建てたのよ」と言う。確かに古く華奢な建て方だが、住めないほどには見えない。
  時々我が家に来て、だべって行ったり、我々がお茶を戴きに行ったりする。さっぱりした良い人である。私が土木工事ばかりしているので、何時も「よくやるわねー」とあきれ顔で言う。

昨日も夕方になって娘さんを連れて亀有の煎餅を持ってやってきてくれた。丁度試飲のためにワインを二本開けたところだったので、飲み比べながら世間話をしていった。あまり飲めないようであるが、楽しそうであった。
  「明日は我々は山登りに行くんです」と言ったら、「帰りはいつ頃ですか」と聞かれた。「夕方になると思いますよ」と答えると、「昨年拾い集めた山栗でお菓子を作って持って行くわよ」と言うので、「有り難うございます。楽しみにしています」と言ったが、来なかった。
でも、よく考えてみると、「帰りはいつ頃ですか」と言うのは、何時東京に帰るのかという意味だったらしい。我々はその日に東京に帰ったので作るのが間に合わなかったのかも知れない。悪いことをした。

堀越さんと彼に纏わる人々
  彼は若い頃は本格的な山屋で、エネルギッシュに色々なことをやる。最近最もエネルギーを注いでいるのは陶芸で、色々なジャンルを手がけている。中でも特徴的で素晴らしいのは、赤く錆びた鉄で出来たような陶器で、色々な形をした壺が山荘に並んでいる。窯は自宅の方にあるそうであるが、作品が多すぎるので広い山荘の展示室に並べている。

  彼は社交家で行動的な人である。茸や山菜にも詳しく、この間も紫シメジの大きな塊を「小屋の直ぐ側で採ったんですよ」と、そっくり分けてくれた。
  彼は私と同じように、一人でも山荘にやってくる。いや、むしろ一人の時の方が多い。山で好きなことをやるのが嬉しいのである。私もしょっちゅう彼の小屋に出入りしている。彼の周りには何時でも新しい情報が溢れているので、実に楽しい。

 五月の連休の二日目であった。昨日も今日も小雨で家に居たら、堀越さんから電話があった。「今、大工の棟梁の富田さんの穴蔵で、イワナを焼いているところだから来ませんか」との誘いがあった。早速雨の中を車で出かけた。

 富田さんの穴蔵は、一方が土手を削って作った壁で、一部ブロックで土止めをしているが、木の根や泥がむき出しの”またぎ”の小屋のようで、かなり大きい。泥壁の側に大きな囲炉裏があり、その枠は立派な柾目のケヤキで出来ている。その中に炭がくべられ、網の上にイワナが沢山焼かれている。横には村の旧家の黒沢酒造が酒造りに使っていたと言う革製の汚い吹子があり、足で強く踏むと炭が赤く勢い付く。下は土間である。そこには、富田さんは勿論、常連で登山家夫妻の池田さん、堀越さん夫婦、堀越さんのお兄さん家族、お孫さん達等8、9人が居て、既にイワナで点でんに酒盛りをしていた。堀越さんは朝の7時からずっと飲んでいて、既に十分出来上がり、富田さんの穴蔵であるが、自分の小屋で有るかのように楽しそうに迎え入れてくれた。

  気の置けない人たちの寄り合いで、皆自分の家のように自由に振る舞っている。去年知り合ってバーベキューの炉を作ってあげた指宿さんも此処の常連だそうであるが今日は見えていなかった。また山一つ隔てた鷽ノ口の別荘の水沢さんも常連だそうである。水沢さんは元新聞記者で、鷽ノ口の別荘を舞台に一冊の楽しい本、”山小屋物語”を書いている。私も何回も読んで昔からの知り合いのように感じている人であり、一度会って話してみたいと思っている。此処に来ればきっと何時か会えるかも知れない。

 私は川魚はあまり好きな方ではないが、此処のイワナの旨かったことと言ったら無かった。生きたまま焼くイワナで、炭ですっかり脂が抜けて生臭くなく、さっぱりとしている。手掴みで食らいついて食べたが、こんなに美味しい川魚は初めてであった。いつもは古い魚を食べていたのかも知れない。それにしても炭で焼く魚は旨い。自分でも山小屋で、ザ・シチリンなる金属製の七輪を買ってよくサンマを焼く。今日のイワナは七輪で焼くサンマより美味しかった。

 途中で富田さんは用があると言って一人帰っていった。後は二軒隣の池田さんが火の始末をするらしい。一時しゃべった後、池田さんの家の工事計画の話が出て、池田さんの家に行こうと言うことになった。池田さんは三年前に富田さんの建てた家を中古で買い、その家の改装を再び富田さんに頼んでいた。やはり囲炉裏小屋を作り、その先に露天風呂を作るのだという。その計画と周りの雰囲気を説明してくれた。皆よく来る人たちで、それぞれの趣味と計画を持っている。

 堀越さんは、先々週、雪で倒れた木に着いている花が余りいい匂いがするので、家内と一緒に生け花用に採っているときに知り合った人である。言葉が非常に丁寧であるが気さくな人であった。立ち話をしているうちにコーヒーでも飲んで行きませんかと言われ、近くの彼の小屋におじゃました。別荘地で最も標高の高い景色の良いところにあって、これも八年前に富田さんの作を中古で買ったとのこと。路との段差を利用した比較的大きな三階建ての家で、夏用の家であると言う。木材は一部古電柱を用いてあるが、如何にも別荘らしくて、とても良い建物である。彼は山へも行くし、スキーもやるので富田さんに冬用の建物をもう一軒作って貰うことになっているそうである。

ポール・パンソナさんのこと
  ある日女房と別荘地を散策していると、外国人が植木の手入れをしていた。どちらからともなく話しかけて、工事の話が弾んだ。目の前の大きな山荘を奥さんと二人だけで作ったと聞いてビックリした。とても素人の作とは思われない立派な山荘である。私も何時か自分の小屋の床下に部屋を作ろうと思っていたので非常に興味が湧いた。

  見て行かないかとの誘いに、二つ返事で中を見せて貰った。中には日本人の奥さんが居た。この方も、気さくでとてもいい人である。
  造りは三階建で、二階から入る。いかにも山荘らしく自然の木をふんだんに使い、部屋毎に異なる雰囲気を持たせた凝った造りであった。風呂場やキッチンなどの水周りも全て自分たちで造ったとのこと。水周りはこんなところに工夫をしたとか、キッチンのデザインはこんな考え方でやったなど、なかなかの出来であった。
  案内して貰う部屋毎に変化があり、次はどんな雰囲気だろうかとわくわくする。一階は息子さんのバンド音楽が出来るよう、やや広い部屋になっていて、あちこちに楽器が置かれていた。彼は青年モデルとして売り出し中で、男性スタイル雑誌やテレビなどによく出てくる。

  庭に出るとバーベキュー広場がある。古い枕木を並べて平地を造り、真ん中に炉が切ってある。軽トラックを借りて、ある場所から枕木を運んできたそうであるが、何せ一本60キロもある。10数本積んで車を一台壊してしまったそうである。
  我々はその後、時々寄るが、行く度に何かしら変化がある。ベランダの形が変わったり、部屋が増設されたり、駐車場が出来ていたりする。実に気軽に改装する。思いつくと直ぐやってしまうらしい。奥さんと二人掛かりだから速い。

 パンソナさん曰く、「こんな面白いことを、金を払って人に頼む手はない」、と言うのが彼の哲学である。

 彼の家の近所に、同じくフランス人仲間のラザロンさんが、この辺りでは珍しい豪邸を建てることになった。彼は工事の間パンソナさんの家によく来ていた。フランス人なので、集まるとお茶替わりにワインをよく開ける。パンソナさんは人が良く、お昼の食事も自分で作り、私を含めたお客さんにご馳走してくれる。何でもやる人である。

 最近はインドに凝っていて、時々インドに行っているそうである。目的はインドの民芸品や工芸品を買い付けて日本で売るのだそうである。これまでの本業である日本のベルリッツ語学学校の教授を止めて商売替えをするらしい。彼は本当にエネルギッシュである。

 ある日八ヶ岳南部の別荘地、甲斐大泉に行ったとき、俳優の柳生さんが経営している八ヶ岳倶楽部の店に寄った。そこに偶々インドの民芸品が置いてあった。聞いてみたら、やっぱりパンソナさんがインドで仕入れたものであった。

 我々の別荘地にはフランス人が4人住んで居る。何れも奥さんは日本人である。もう一人はチュビさんと言い、パンソナさんとラザロンさんの家の下の方に住んでいる。来る回数は余り多くない。更に一人居るが、未だ紹介されていない。

指宿さんのこと
  パンソナさんの少し先に指宿さんの別荘がある。ある日通りがかったら、指宿さんと奥さんが大きな木を切り倒して運んでいた。作業が何より好きな私は例によって眺めていると、何となく話が始まり、「どうぞお入り下さい」と言うことになった。
  家の造りがまたユニークである。一見細い三角形のケーキを立てたような別荘で、高さが20メートルもある。内部は思ったよりずっと広く、これも富田大工さんの作であった。一番高い部分にご主人の書斎がある。後で付けたのだそうだが、鍾乳洞の中に掛けた観光用の梯子のような階段を上がって行く。手摺りがしっかりしているので別に怖くはないが、自然木を使った趣味溢れる建物である。

 しばらくおじゃましてお茶と指宿さんお薦めのニンニクライスをお昼にご馳走になった。趣味の刀剣の話を聞いた後、やおら別の部屋を紹介してくれることになった。一階の隅の床をスライドすると地下階段が現れ、緩やかな階段を下りて行くと、そこは傾斜地であるため南面だけが窓になった和洋折衷の地下応接室である。わざと暗く作ってあり、壁はこの土地で採れる鉄平石造りで白熱灯で間接照明している。魔法使いの家を思わせるような暗い部屋で、壁には写真と見まごうばかりに書かれた自筆の鉛筆画が何枚か掛けてある。此処はお客さんと酒を酌み交わす部屋なのだそうだ。とても趣味溢れる楽しい別荘である。

 たまたま外周りの話になった。裏山に案内してくれ、自然の石や山野草の話をしながらバーベキュウの炉の話になった。「どうもあまり出来が良くないので作り直そうと思っているんですよ」と言うので、「その中私が造ってあげましょう」と言うと、気安く「そうですか」と言う。私はすっかりその気になっていた。冬には来ないので次に来るのは来年だという。「構いませんよ。私が勝手に来て造っておきますよ」と言っておいとました。

 この様な作業が根っから好きな私は、仕事が出来たと、浮き浮きして帰った。早速図面を引き、イメージを作って次の週から作業に取りかかった。
  地面をならし、土台の下に霜除けの砂利を敷き、丁寧に耐火ブロックを積んだ。立って使う炉がよいと言われるので、四段ほど積んだ。周りを八番線で巻いて締める。この締めがコツである。角にずれないように小さな溝を掘り、各段毎に八番線を巻く。軽く締めた後、四方の直線部の八番線をプライヤーで挟んで捻る。 針金にZ型のパタンが出来る。これで完全に締まる。一番上のブロックは横に倒して並べ、同様な方法で締める。そこが皿などを置く少し広いスペースになる。セメントも何も使わない。これが私の工法である。
  丸鋸でブロックを二つに切って空気の取り入れ口を二段北側に付ける。上にプラスティック板で蓋を造って雨除けとし、風で飛ばないようフックを付けて完成である。

 翌年の春になって指宿さんは喜んで何度かお礼に来てくれたらしいが、たまたまその時期に行かなかったので大変失礼してしまった。故郷の名物を戴いたり、食事のご招待を戴いたり大変なことになってしまった。自分の趣味でやって喜ばれたと知るだけで十分である。後は何も要らないが、相手にして見れば何とか喜びを表したい気持ちも分かる。いずれにしても嬉しいことであった。

 後で堀越さんと知り合って、指宿さんが富田さんの穴蔵の常連であることを知った。また穴蔵の側の池田さんから、「指宿さんの炉を造ったのは貴方でしたか」、と言われてビックリした。そういえば指宿さんの家は富田さんの作だし、指宿さんが富田さんのお子さんの仲人をした話を聞いていた。どこかで皆繋がっている。狭い社会である。この別荘地の大半は富田さんと、そのお弟子さんの高見沢さんが建てていることを初めて知った。村の別荘地とはこんなものかも知れない。

池田さんのこと
  別荘地の人の話の中に度々出てくる池田さんの話を抜かすわけには行かない。
彼は大学時代に山岳部で活躍した人で、夫婦共に山のプロである。
  彼の小屋には山仲間の小高さんがよく遊びに来る。池田さんも小高さんも物造りが好きなので、二人でやるので結構大掛かりなものまで作ってしまう。
  パンソナさんとは少し趣が異なり、どちらかというとアウトドアに関する遊びの舞台装置は自分で作り、本格的な建物は富田大工さんに作ってもらうようである。

 彼の所も行く度に何か新しい物が出来ている。一昨年は富田さんに囲炉裏のある部屋を作ってもらった。次の年にはその側に野天風呂を小高さんと二人で造ってしまった。それも実に良くできている。着替えの場所もあるし、裸で涼むベランダも付いている。更に驚く無かれ、奥にサウナまである。更に野天風呂の雰囲気を出すために、八ヶ岳が見えるように庭の景観整備も行っている。

 また風呂の前方の落葉松の木の上には、トムソーヤー顔負けの樹上小屋が出来ている。池田さんと小高さんが作ったのである。その小屋は二階建てで、一間余四方の大きさがあり、中で昼寝をしたり本を読んだり出来るようになっている。

 その後、休む間もなく富田大工さんに頼んで、裏に大きな納屋を作った。更に隣の一区画が空いていたので借り受け、1メートル以上有る大石を二十個ほど積んで立派な石垣を築き、池田さんのお母さんが住む家を建ててしまった。そうこうしている中に今度は山仲間の小高さんの山荘を庭に建て始めている。思ったら実行する彼のエネルギーには吃驚するしかない。今度は一体何が出来るのだろうか。

女性軍の店
  ある日池田さんの所にぶらりと立ち寄った。池田さん夫妻と囲炉裏を囲んで話をしていると、池田さんの奥さんが、「今度女性だけでお店を始めたの」と言う。「えっ、何処に?何の店?」と、すかざず私。「パンソナさんの奥さんと地元黒沢酒造の親戚で野鳥に詳しい黒沢さんと、地元の建設業兼農家の須田さんの奥さんの四人で始めたの」。「場所は?」、「ほら管理棟の横に昔売店があったでしょう。あれを借りて改修したの。中は結構広く、営業用の調理器なども揃っていて食堂もやれる設備があったのよ。勿論食堂はやらないけど、冷蔵庫が使えて便利なの。改修には旦那衆が協力して作ってくれたの」と言う。

 「何の商売をやるの」と私。「一度来てみてよ」と池田さんの奥さん。池田さんのご主人が横から「男には一切口を出させないで、自分達だけでやると言ってるんですよ。開店は春から秋までの土曜、日曜だけなんです。ま、お遊びみたいなものですよ」と、口を挟む。「賃料が安いので別に儲からなくても良いんですよ。彼女たちの集会所ってな所ですかね」と軽口をたたく。
  パンソナさんも池田さんも須田さんも永住だから、黒沢さんだけが別荘族である。「じゃ、私は行ってくるわ」と池田さんの奥さんはそそくさと店に向かって出ていった。

 私は彼女たちを全て知っているので、その午後、早速行ってみた。管理棟と彼女らの店は国道299号に面していて、駐車場も有り十台以上置ける。駐車場を挟んで対面にログ調の公衆トイレもある。八ヶ岳高原に遊びに来た客が一休みしていける場所である。その隣りに須田農園で取れた野菜の無人販売小屋があるところである。

 女性の店らしく、コーヒーが飲めるだけでなく、ドライフラワー、須田さんの野菜、木の根で作った置物、パンソナさんがインドで仕入れた日用品や小物類等の土産品が女性の趣味で綺麗に並べられている。名前は忘れたが、自然木から切りだした板で看板が作られ、店の名前が書かれている。また道路際に看板の幟が一本立てられている。これも亭主達の作である。

 缶ジュースをご馳走になりながら中を見せて貰った。亭主達がとっかえひっかえ来ては内装を手伝っている。みんなで店作りを楽しんでいる。経営は彼女たちであるが、客よりもみんなが楽しむ場所になりそうである。