五月の連休は、別荘地が最も賑わうときである。一年ぶりで会う人も多い。今年は4月30日を休めば、7連休になるので、来る人も多いと思う。
  30日の夜、雄猫のロッキーを連れて家内と山小屋へ向かった。今年は二人だけで春山に行こうと思っている。

5月1日 (近隣とのバーベキュー)
 今日は快晴で、窓から見える八ヶ岳は雪を被って眩しいくらいにくっきり浮き出ている。我々は昨夜遅く到着したので寝不足気味で、山に出かける気になれなかった。私は仕掛かり中だった床下の戸棚の扉を製作し、家内はパソコンで、メールだ、インターネットだ、デジカメだと夢中になっていた。

  午後になって、二人共切りがついたので、買い物に出掛けた。今朝散歩の時、下のSさんに今年初めて会ったので、「今晩一緒に食事をしましょうよ」と誘っておいた。彼女は、「後から娘が来るけど一緒に行って良いかしら」と言うので、「勿論大歓迎ですよ」と答えた。家に戻ると、家内は「珍しく来ているお隣の篠崎さんの奥さんも呼んだら」と言う。「それはいいね」と声をかけることにした。床下に囲炉裏も出来たし、久しぶりに別荘の人達と囲炉裏でバーベキューをすることにした。肴はこの間、弟と食べて味をしめた岩魚と決めた。

  岩魚は、下の大石川の養魚場へ行って、生きた奴を15匹ほど仕入れた。その他、肉や野菜を仕入れて小屋に帰り、私は火を熾し、家内は下拵えを始めた。

  先ず、自在鍵にぶる下げた鉄瓶でお湯を沸かし、お茶を飲む。八千穂の水は本当に旨い。次いで、網を出して岩魚を焼き始めた。家内が佐藤さんを呼びに行った。隣の篠崎さんも呼んだ。佐藤さん母娘と篠崎さんの奥さんと我々5人でバーベキューが始まった。
  Sさん母娘が持ってきてくれたツクシの煮物、蕗の味噌和えが何とも乙な味で、バーベキューを引き立ててくれた。

  篠崎さんは、「岩魚が余り美味しいので、娘夫婦も呼んでいいかしら」と小声で囁いた。「いやいや、気が利かなくて申し訳有りませんでした。実は、我々は初めから呼びたかったのですが、これまでに一度も言葉を交わしたことがなかったので、つい言いそびれていたんですよ。どうぞどうぞ、是非呼んであげて下さい」と言うことで、Sさんの娘さんに、二人の若者が加わって、急に華やいだ雰囲気になった。彼はロッククライミングを趣味とする好青年で、私も飲み仲間ができて嬉しかった。明後日には川上村の有名なキャンプ場”廻り目平”にあるロッククライミングサイトに行くそうである。

  佐藤さんの娘さんは、慈恵医大の講師をしていて、つい最近結婚したばかりである。いつも母娘で来るさっぱりした仲の良い親子である。

  今晩は満月である。岩魚を焼き始めると、東の空から月が上がってきた。色々な話に花が咲き、網を鉄板に切り替えてバーベキューに移り、定番の焼きそばを作る頃には月が真上に来ていた。私も久しぶりに旨い酒を飲んだ。また是非やりましょうと言ってそれぞれの小屋に戻っていった。

5月2日 (馬場さんちのアメリカンショートヘア、春の野鳥)
  若干二日酔いで、山登りには行かなかった。家内は相変わらず、パソコンに夢中で、私は地下で戸棚の扉を仕上げていた。

  昼頃突然隣の馬場さん夫妻が娘さんを連れてやってきた。よく見るとアメリカンショートヘアを連れている。私のところに同じ猫が居て歩き回っているのを見て、顔合わせに来たのである。私のところの猫より全体にやや白味が強く、実に人懐こい可愛いらしい猫である。我が家のロッキーも人懐こいが、それにも増して人懐こく、猫に対しても”猫見知り”しない。ロッキーに近づいて行くが、ロッキーは気圧され気味でびびっていた。
  猫を挟んで小一時間会話が弾み、親交を暖めた。馬場さんの娘さんも高校三年で受験を控え、つかの間の休暇のようであった。

  その後、庭を一回りすると、沢山のスミレがあちこちで花を付けている。種類も数種類有る。

 後一週間もすると黄色いキジムシロと一緒に満開になるはずである。   いつもの栗の木の下やカラ松の下に一人静かが群生し、濃い緑の四枚葉と、やはり濃い紫がかった茎に真っ白な筆の先のような花を付けて満開である。下の道路に近い何時も一人静かの生える場所には、今年は一本も生えず、たった一つ筆リンドウが薄紫の花を付けていた。余り小さいので踏まないように棒を立てようと掘ってみると、一人静かは地中で下を向いて隠れていた。一番暖かい土手なのに一番後から出てくるのは一寸不思議な感じがする。日当たりは良いが、風の通り道で、実は寒いのかも知れない。

  落葉松の葉もすっかり青みを増し、葉はもう1センチ以上にもなっている。モミジや楓も少しづつ赤い新芽を広げ始めた。自然に生えた白樺もいつの間にか十数本に増え、2メートル近くになっている。先端から無数の若草色の葉を2センチ程出している。落葉松と並んで春を彩る初々しい葉っぱである。 

  今日は、頭のてっぺんと腹の部分が白く、その他の部分は真っ黒な珍しい野鳥を始めてみた。図鑑で確かめると”山椒食い”であった。家内と望遠鏡を奪い合って眺めた。また久しぶりに最も小さなキツツキの”小ゲラ”が来た。木の枝を端から順に餌を探しては、別の木に移って行く。また玄関先の落葉松の低い枝の周りに、滅多に来ない”黄セキレイ”が二羽、鮮やかな黄色を見せながら忙しく飛び交っていた。
  今晩も木に囲まれて食事をしようと火を熾し始めると、ロシアからの渡り鳥で、今年初めての”あかはら”が二羽「キョロン、キョロン」と鳴きながら林の小道を歩いて横切っていった。”あかはら”は夕方からよく鳴く鳥である。

  夜は曇って、冷えてきたが、毛布を膝に掛け、家内と二人で、あり合わせのおかずとおにぎりを焼きながら、遅くまで囲炉裏端で木々に囲まれて座っていた。 天井と北側以外、何の囲いもない地下の囲炉裏は周りの林と解け合って、自然の中にいるなあと実感出来る場所である。側で鉄瓶がしゅんしゅんと鳴っている。時々柄杓で湯を汲んでお茶を入れる。静かな至福の時である。

5月3日 (春の縞枯山)
 今日こそはと、春山に出かけた。八時頃車で小屋を出て、麦草峠に八時半過ぎに着く。今日は、茶臼山、縞枯山を経て雨池へ降り、そこからほぼ平らな道を麦草峠に戻る約五時間のコースを楽しむ予定である。

  茶臼山への途中、かなり手前から雪が残っている。数十センチ以上は有ろうか、春特有の腐った雪で、道の中心を外すと足を膝まで取られる。余り傾斜は無いが、歩きやすいように家内はアイゼンを着ける。所々に泥が露出したところもあるが殆どの道は数十センチから一メートルの雪で覆われている。途中尾根筋から離れて茶臼山の展望台へ向かう。展望台からの景色は、雲がやや多く、いつもなら北アルプスや中央アルプスが見えるのだが、今日は今一つであった。再び縞枯山へ向かい、頂上の手前の南斜面でバーナーとコッフェルで湯を沸かし、蕎麦を造って食べた。

  そこに反対方向から若い上品な娘さんが、一人、半袖のシャツでやってきて我々の隣りに腰を下ろした。「一人ですか」と聞くと、「ええそうです」と言う。「どちらからですか」と聞くと、「麦草峠から雨池へ行き、同じルートを帰ってきたところです」と言う。我々と同じコースを既に帰るところだと言う。たいていの人は雨池からほぼ平らな道を麦草峠に戻るが、彼女は雨池から再び険しい尾根筋にとって返し麦草峠に帰るという。
  蓼科辺りの別荘のお嬢さんかも知れないが、なかなか健脚である。

  縞枯山の頂上はこめ栂などに覆われていて見通しが悪い。また頂上の標識は1メートル程出ているだけで可成りの残雪である。頂上からの下りは急な雪道が雨池峠まで延々と続く。ここはアイゼンが嬉しい。雨池峠は日が当たる暖かい場所なので雪はすっかり溶けて泥だらけになっていた。しばらくアイゼンを外し、雨池への急な下りから再び着ける。下の林道はずくずくの腐れ雪で歩きにくい。林道を20分も歩くと雨池の入り口になる。そこから五分ほどで、「ぴちゃぴちゃ」と音を立てて小さな波が寄せる雨池に着いた。池の周りは雪で覆われているが、既に春で氷はない。この池だけは畔に山小屋がない事もあって、私の最も好きな池の一つである。いつもながら静かで、今日は人影もまったくない。
  畔に佇んで、しばし北八特有の黒い森を背景にした静寂を楽しむ。家内持参のディジカメで二三枚写真を撮った。しばらくして池を離れ、林道を経て緩やかな林の中の雪道を一時間余り歩き、麦草峠に戻る。三時であった。猫のロッキーがお腹を空かして待っている筈なので、急いで帰途に就いた。

5月4日 (土の処理)
 5月4日は朝から霧雨であったが、昨日の夕方、業者が急遽運び込んでくれた二トンの土を二つのバケツで床下に運び込んだ。床下を平坦にするための土入れである。昼は丁度来た佐藤さんの奥さんを誘って一緒に囲炉裏を囲んで簡単な焼き結びの食事をした。午後からは霧雨が小雨に変わったが、土を運び続けた。一日で殆どの土を運び込んだ。相当のアルバイトであった。

  ラジオは昨日から、帰省帰りの道路情報を伝えていた。何処も何十キロの渋滞である。明日も同じように混むだろうと言う。我々も猫を連れているので、余り混んでは困ると、5月5日の朝早く帰ることにした。

5月5日 (帰省)
 5月5日は、五時に起き、六時に出発した。東京には九時に着いた。全く渋滞はなかった。道路情報は完全に外れて一日中渋滞はなかった。

   五日間の連休は終わった。今年は体は忙しかったが、快い充実した休であった。