★50章 老いても進歩が(2001.1)


★老いても進歩が(2001.1)

 私も60の半ばを過ぎた。一般に65歳以上は老人と見なされている。シニアの仲間入りが早いのはスキーで、55歳からリフト券が割引される。60歳から公営美術館や公園の入場券が割引又は只になる。65歳から年金が支給され、電車やバスのシルバーシートの権利が何となく与えられる。70歳になるとバスの無料券を貰える資格が出来る。
 尤も私立大学の教授はまだ70歳定年の所が多いし、個人タクシーの運転手は75歳になってもやっている人が居るから70歳前後は老人ではあるが、必ずしも引退の年齢ではない。

 老人ホームを訪れると、75歳で既に惚けている人もいれば、102歳でしっかり話せる人もいる。実際には、”人は自分が老いたと思うときから老いる”ので、”老い”は人によって千差万別である。  

 面白いことに、歳を取っていくと、鍛えてもそれ以上に衰える要素と、鍛えればまだまだ伸びる要素とがある。記憶力や思い出す力は、ある程度努力で補えても明らかに減退していく。
 しかし、人は事に当たり、常にこれ以上出来ないところまで鍛えてきたわけではないので、何事につけても鍛えると伸びる余地が沢山残されているものである。
 

 歳を取った者にとって、そこが付け目である。そこに進歩の楽しみを見出すのである。時には道具の進歩を利用して仮想的な実力を伸ばすことがあっても良い。
 早い話が、”60の手習い”と言って歳を取ってから始める絵画、陶芸、習字、楽器などは明らかにそれなりに進歩する。歳を取って衰える要素より初心者が基礎を身につけて伸びる要素の方がずっと優勢なのである。
 

 スキーを例にとると、私のスキーは40年以上続けているが、つい最近までウェーデルンがちゃんと出来なかった。本気で上手くなろうとしなかったことに依っているが、山小屋に行くようになって、毎年少しずつ上手くなるのである。始めの頃、家内や友人は、「あなたのスキーは確かにパラレルだが、身体全体が右に左にうねる”山田うどん”だよ」と言う。どうもメリハリが無いらしい。自分でも確かにそうなっている事が分かる。

 周りで教えている指導員のスキーを見ると、安定で且つ、腰から下だけが左右にうねるだけである。「どうすれば、そうなるのだろうか」と、よく観察してみる。始めは手の位置、重心の位置など、見掛けの格好だけを真似てみるが、どうも上手く行かない。そのうち、曲がる瞬間のテールのずらしがゆっくりで且つ大きいことに気が付く。
 しかし、大きくずらすと、重心が後に残り次の回転に入れない。そこで、ずらし終わったときにエッジを立てることを覚えた(実は腰より下だけがずれると言うことは、自然にエッジが立つのである)。すると安定して次の回転に入れる。結果的に腰から下だけが左右に振れるようになった。「それで良いのよ」と素人の家内は言う。「初心者コースを滑る人の中ではかなり上手く見える」と言う。しかし、これをやや急な傾斜でやってみると、どうも上手い人とどこかが違う。自分でも時々身体よりスキーが先に行ってしまうような気がするし、エッジが不必要に流れることがある。 そこで、テールを大きくずらし、エッジを掛けた瞬間に、身体を谷に向かって投げ出すように飛び込んでみた。実際にはテールをずらし始めたときから既に身体は谷に投げ出す用意をしているのである。すると、どうだろう。スキーが先に行ってしまう感覚がなくなった。これを繰り返して見ると、家内は「上手い人と似た格好になった」と言う。これを連続して繰り返す練習をしてみた。家内は「見違えるように上手くなった」と言う。一緒に行った友人も、「凄く綺麗になった」と言ってくれた。手の動きも、いつの間にか上手い人と似てきた。こうすると、頭は殆ど動かず、腰から下だけが左右にうねり、リズミカルで安定な滑りになる。

 我々の年齢では、テールジャンプ程度でもジャンプは体力的に厳しい。スキーが終わって小屋に入るとき、飛び上がって靴同士を叩き、雪を落とすことは既に出来なくなっている。
 谷に向かって身体を投げ出す操作は、ジャンプではなく、谷に向かっての落差を利用して飛び降りるだけである。だから体力を必要としない。

 これだけのことであるが、習うのが嫌いな私は、ここまで来るのに5~6年掛かった。

 因みに最近スキー界ではウェーデルンという言葉は使われなくなった。全日本スキー連盟のバッジテストから、ウェーデルンは外されている。代わってカービングスキーによるテールをずらさないで曲がる高速滑走が取り入れられている。速度を落とすのは、スキーの趣旨に反するらしい。スキーは競技で保っていることからやむを得ないが、年寄りは年寄りらしいスキーをする必要がある。
 尤も、我々のような年寄りは、スキー場では殆ど見掛けなくなった。精々孫の子守と雪景色を楽しみに来るだけである。

 ここで大事なことは、人は若いときに全てのことに上達しているわけではないので、練習すれば必ず伸びる余地が残されていることである。また歳を取っても、理屈を考え、目標を持って繰り返し練習してみると進歩すると言うことである。

 体力に関係なく進歩するのが面白い。勿論転んだときの怪我は、歳と共に大きくなる可能性がある。そのためにも、ウェーデルンのように速度を落とす技術が必要なのである。

 また、年齢と共に疲れが早くなるので、休憩時間をたっぷり取る必要があるし、疲れ切るまでやらないことが大切である。
 我々は、午前一時間滑り、休憩を一時間以上取って、午後一時間滑るペースで楽しんでいる。そうすれば、翌日の仕事に全く影響しない。

 ”老いても進歩が”は、何もスキーだけではない。スポーツもその他の趣味も美しくやろうという意気込みがある中は進歩するものである。

★51章 猟犬に襲われる (1999.3)

★猟犬に襲われる (1999.3)

 ある寒い冬の朝、一人で別荘地内を散歩していた。一本の道のドン詰まりを折り返し、緩やかな坂道を下って来た時のことである。突然道の右下の別荘から、私の体に近い大きさの猟犬、ポインターが、道に上がってくるなり私に向かって吠え掛かってきた。一瞬、「はっ」と、身の毛がよだった。毛並みから見て明らかに飼い犬である。
 キルティングの防寒服を着てフードを被り、裏側に毛のある厚い手袋をして、ややごついチロリアンシューズを履いていたので、犬は不審に思ったのか、挑戦的な面構えをして近づいてきた。

 回りに人気はない。五メートルまで近づいてきて、今にも襲いかかる構えで吠えたてる。武器は、全く持っていない。私は咄嗟に、素手で戦う覚悟を決めた。

 正面小学校の柔道の時間に習った自然本体に構えた。戦う姿勢を示すため、一歩前に出た。犬の目を睨み据え、攻撃を待った。犬は猟犬であるから必ず飛びかかってくる。その間にも犬は怯まず腰を屈めてじわじわ近づいてくる。三メートルまで近づいてきた。飛びかかってきたらビブラムソールのチロリアンで顎を一撃しようと身構え、右足に全神経を集中した。
 その時、ふと、靴紐をそれほどきつく締めていない事に気が付いた。瞬間、もしかしたら最初の一撃目で靴が脱げるかも知れないと言う思いが横切った。絶対外せない。どっちが最初に致命的な一撃を加えるかが勝負である。もし、しくじったら、どんな形になっても喉を押さえ、目玉を潰してやるぞと心に決めた。

 その間二秒も有ったろうか、低い体勢で体をぶるぶる振るわせながら、じわじわ二メートルに近づいてきた。飛びかかってこようとする瞬間、口笛が聞こえた。飼い主が只ならぬ犬の吠え方に何かあったのかと確認しに来て、人に向かっているのを見たのか、呼び戻したのである。犬は戦意を解き、きびすを返して戻って行った。飼い主は卑怯にも出てこなかった。その瞬間、飼い主に対する言い様のない憎悪感が体を駆け抜けた。

 飼い主は、ほっかむりを決め込み、最後まで現れなかった。「このやろう」と言う思いは今でも消えていない。しかしその時、何故かその家に怒鳴り込まなかった。
 実際に犬と格闘したらどうなっていたか分からない。
大声を出していたら事態はもう少し変わっていたかも知れないが、その時は向かい合うことに全神経を集中していた。

 その後何年も経つが、未だにその家の人間に合うチャンスはない。しかし、そこを通る時は何時でも小型の鉈を持って歩いた。残念ながら似たような二軒の家のどっちだったか思い出せない。それだけ興奮していたのだろう。

 帰って何日か後、管理人にこの事を話した。管理人は何の感動もない素振りで私の話を聞いていた。地方自治体の管理人は深入りしたくないのだろう。しかし、そんな顔はしていたが、何処の家か知っているらしかった。

 これは、もう何年も前の話である。「護身用のナイフを買わなければならないな」と思いながら未だに買っていない。

★52章 ナイフ (1999.11)

★ナイフ (1999.11)
 山小屋に行くようになって、近所の山々を徘徊すると、何となく山を荒らす藤の蔓や茨を退治することが多い。また庭に生えてくる藤の芽や茨の芽を根本から切ったり、茂りすぎた灌木を整枝したりするために、選定鋏、片手鋸、鉈(三種の神器と呼んでいる)を腰に吊り提げて歩くことが多い。また小分けされて売っている各種部品の開封、袋物の開封にはポケットに何時も入っている小型カッターが便利である。
  しかし腰に吊している三種の神器は、がさばるし重い。目的もなくただ歩き回るときには大袈裟でもある。また鉈や鋸の使用頻度はそれほど多くない。やはり選定鋏とカッターの使用頻度が最も高い。しかし剪定鋏だけを持ち歩くには、鋭い先端が危険である。そのためポケットに入る先端の丸まった小型の選定鋏を買って、最近では、カッターとそれだけを持ち歩いている。 以前、放し飼いにされた猟犬に襲われたことを書いた。また最近は野犬化した捨て犬が横行していると聞く。猪や猿や蛇ぐらいは出てきても不思議ではない。 少し山を下りたところに、マムシに注意の標識が立てられている。
 都会でも烏に襲われる例もある位である。だから山では最低限の護身用の武器が必要であると感じていた。「手頃なナイフが有れば良いな」と思いながら数年が経過してしまった。日本だけでなく外国へ行ったときにも、この種の店に立ち寄って探していたが、自分の用途に合った、愛着の持てそうなものには、なかなか行き当たらなかった。   ある日、秋田に居る道具好きの息子が、「”またぎ”が使うナイフを注文するので、親父も頼まないか」と言う。一寸心が動いたが、どんなものが出来るかよく分からなかったので、遠慮していた。昨年の夏、息子の所を訪ねたとき、出来上がったナイフを見せてもらった。それは本当に”またぎ”が使うもので、荒々しい出来で、刃渡りは20cm、幅も4cm位有り、刃と柄が一体に鍛造され、柄は棒が挿せるように筒状になっている。山で、もし熊に遭遇したら、熊に向かって棒の付いたナイフを突き刺し、ナイフを熊の体に残して逃げるのだという。素朴で如何にも切れそうであるが、私の要求とは少し違っていた。  

 つい最近、渋谷の東急ハンズに寄ってみた。何百種も並んでいるナイフの中に、「おや」と思うものが有った。しばらく他のナイフや山刀などと比べながら眺めていた。大きさと形状が好み通りであり、手打ちの鋼の肌が美しい。柄と鞘がチーク材で作られ、断面が僅かに太鼓型に膨らんだ鞘が魅力的であった。   ”鈴木寛さん”という人の作品である。ナイフの造りについては、能書きがなかったので、店員に電話で聞いて貰った。1mmほどの鋼の両側からステンレス鋼で包むようにして鍛えられているとのことであった。鋼とステンレスの重ね目は不規則であるが、微かに波打って見える。刀の刃に近く、両面が曲面で研がれている。又刃の付け根の柄には、打ち跡のある鍛造のリングが填められ、柄の強度を増すと同時に、洗練され過ぎたナイフに野趣を与えている。  

 チークの鞘の要所要所には、点のようにステンレス製の小さな四角い頭の鋲が打ち込まれ、デザインにアクセントを与えている。更に鞘の周りを、ぶ厚い皮で包み、その合わせ目が1cmほど空いていて、革ひもで鞘に密着するように編み上げられている。皮の先はベルト通しになっている。仕上げも実に丁寧で、且つ機能的である。刃渡りは18cm、最大幅3.5cm、厚み5mmでバランスも良い。刀の鯉口に相当する金具も、5mm厚の真鍮の板から複雑な曲線で切り出されたもので、重厚であり、これを身に着けて崖を這い上がっても抜けない構造になっている。しかし、使うときには簡単に親指で鯉口が切れる。柄の形はやや細身で、緩やかな曲線をなし、端の握りの形状も機能的である。これを作った人は、鍛冶屋だけでなく、工芸にもかなり造詣が深いように見える。  

 先端が「ツン」と鋭く尖り、刃渡りが適当であり、重さも小型の鉈程度で、振ったときのバランスもよい。山で常時携帯すれば、簡単な調理、万が一の中規模の動物の襲来にも耐えられる。当に私の希望通りであった。

 限定二本と記されていた。倉庫から持ってきて貰ったもう一本と併せて手にとって比べて見ると、手打ちであるため、微妙な違いがある。二本の中から鯉口に信頼感のある方を選んだ。

 研ぎは中砥を掛けたままで、十分な切れ味が出ていないように見えるので山小屋でじっくり研いで見るつもりである。

 この種の作品は気に入ることが大切で、その後で買えるかどうかを決めることになる。幸い出来具合の割には頃合いの値段で35,000円であった。これが高いかどうかは、欲しいと思う心とのバランスである。
  実際には、作者のネームバリューを除いて、同じものを何本作ったか分からないが、デザインに何日掛かったのか、鉄を鍛えるのに何日掛かったのか、柄と鞘を作るのに何日掛かったのか、設備費の消却は、流通の費用は、と考えると、申し訳ないような値段だとも言える。

 家に帰ってゆっくり眺めると、ナイフ自身も鯉口も柄も鞘も見れば見るほど精巧に出来ている。芸術品とまでは行かないが、それに近い味わいがある。これを身に着けて歩いたときの充実感を考えると、「久しぶりに良い買い物をしたなあ」と思った。

 しかしその後、刀よりももっと丸みを持って研がれた刃先は、丈夫であるが、どんなに良く研いでも、片面研ぎとは違って切れ味が悪く、物を削ったり、料理をしたり、一寸した鉈代わりには向かない事が分かった。飽くまで突きを意識した護身用なのである。

 何時かナイフや鉈の代わりに使えるように両面をやや薄く鋭角に研いでみる積もりである。 

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