都会は都会で楽しいことも多い。でも、ストレスに満ちあふれた都会を離れて山に来ると、何とも言えずほっとする。
 年に30数回も来るが、八年経った今では、もっと頻繁に来たいと思うようになっている。初めはそんなことになろうとは思いもよらなかった。だから他人から見ると、「高い交通費を払って一体何の騒ぎだろう」と思うのも無理はない。
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 つい先日も知人から「そんなに頻繁に山小屋へ行って何するんだい」と聞かれた。「色々やることがあるんだ」と言っても分からないのは当然である。毎朝長靴を履いて、山を見ながら庭を歩き回ったり、部屋に飾る野の花を摘み取ってきたり、草刈りをやったり、隣近所の森の具合を眺めたりする。
  秋には栗の実を拾ったり、茸を探したり、山葡萄や木苺の熟し具合を見たりして、つい朝食が遅くなる。

 昼は昼で下手な木工をやったり、山小屋の舞台装置を作るための土木工事に精を出す。大袈裟に言うと、山での土木工事が好きだから山小屋に来るのである。数回に一度は家内と軽登山を楽しみ、冬になれば毎週スキーに出かける。連休になると囲炉裏を囲んで隣近所の人と鍋物やバーベキューをやる。だから思ったよりやることが多い。山の舞台装置が揃って来るにつれ、私は工事の合間に、家内はパソコンの合間に、囲炉裏で食事を作ったり、お茶を飲んだりする事が多くなった。
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 一寸したきっかけから始まった山小屋暮らしだが、知らない中にはまり込んでいた。
 時々「これが毎日続いたらどうだろうか」と考えることがあるが、それはやってみなければ分からない。でも、八年も来たい気持ちが続いたのだから、一週間に一度なら当分続くだろう。いずれにしても、なるようになればよいと思っている。

 山小屋を建てたときから山のメモを書くようになった。本書はそのメモと記憶を頼りに思い起こすままを書いた130章余りの文章の中から、54章を選んで纏めたものである。  山小屋生活に関わる工作や土木工事の話がやや多くなってしまったが、細かい技術の話は出来るだけ避け、作業の楽しい雰囲気を伝えるように心がけた。 私だけでなく、男は誰でも、アウトドアへの郷愁があるように思う。本書は、そんな方々と自然を共有したり、これから山小屋を建てられる方や既に持っておられる方々が、山小屋生活をより楽しむための一助になれば幸いである。
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 「山小屋が呼んでいる」を記すに際し、大変勝手ながら、別荘の方々、村の方々、友人等のお名前を断り無しに使わせていただいた。どうかお許し戴きたい。
最後に下町生まれで都会育ちの家内が、何となく山登りをしたり、スキーをしたり、森を眺めたりする雰囲気が好きになって行く事に感謝している。それが我々の原点だからである。