八ヶ岳は、北アルプスや南アルプスに比べて比較的アプローチが簡単であるが、3000メートルに近い山である。東西に長い尾根を持ち、その山麓には蓼科を始めとする沢山の別荘地がある。南はごつごつした岩山であり、北は森と苔に覆われたしっとりとした山である。
山岳部のリーダーであった友人が、隊員と行動する合間の息抜きに、我々素人をよく八ヶ岳に連れてきてくれた。
そんなことで学生時代には、二回来た。
一度は夏だった。小海線の松原湖駅から歩いて稲子湯経由で白駒池に行った。稲子湯の小屋が未だ改築される前である。一泊して温泉に浸かった。
ほっ建て小屋の中に板戸で囲まれた温泉があり、隙間から星が見えていた。現在の湯の色は鉄分を含んだ赤色であるが、当時はうろ覚えであるが、粘度を溶かしたような濃いネズミ色をしていたように思う。
翌日、白駒池へ向かった。途中、始めて見る白樺林が余り綺麗だったので、一休みするはずが、皆で枯れ草の上に仰向けになって昼寝をしてしまった。青空の中に無数の白樺の葉がぶら下がり、そよ風に鈴のように揺れていたのが印象的であった。
始めて見る静寂な白駒池は、若い我々をハッとさせるそれは神秘な池であった。この世にこんな美しい池があるのだろうかと、目を疑ったものである。
今では何時行っても沢山の人が来ているが、当時は我々以外誰も居なかった。
四十年以上前の事である。
二度目は春だった。やはり稲子湯から登り、ミドリ池を抜け、中山峠で八ヶ岳を越えて渋ノ湯に降りた。未だ残雪が多く、雪道を山靴でショートスキーのように滑りながら降りたのを覚えている。
大学を卒業して、同じ友人と彼の女友達二人と、八ヶ岳山麓の清里までドライブし、美しの森をハイキングした。朝早く出てきたこともあってスズランの咲く原っぱで、昼食の後、四人とも昼寝をした。その後友人とその女性の一人が結婚した。
その夫婦と我々夫婦は家族ぐるみで今でも一緒に山に行ったりスキーに行ったりしている。
会社に入ると、仲間も沢山でき、一緒に山に行くことも増えた。5月の連休だったと思う。新装成った稲子湯で立派な温泉に浸かり、白駒池へのルートを登った。
学生時代に来たことがあるルートだったが、林道が出来たこともあって景色は殆ど覚えていなかった。白駒池付近は人の足跡が少なく、残雪に膝まで潜りながら歩いたのを覚えている。
またある夏、職場の旅行で蓼科に泊まり、翌日有志で渋ノ湯から北八の尾根に取り付き、硫黄岳の小屋で泊まり、赤岳まで縦走して清里に降りた。
別の年にも蓼科に行った。翌日やはり渋ノ湯から尾根に上がり、南八ヶ岳を縦走した。その時は赤岳を越えて権現岳まで足を延ばし、小淵沢に降りた。
途中、一泊したが、行程が長く、みんな相当疲れていた。
偶々通りがかった工事用トラックに乗せて貰って、長い裾野を歩かずに済んでホットした。
前記大学時代の友人と私の家族には、どちらも三人の子供が生まれ、一緒に登山、スキー、ハイキング、ドライブ等を楽しんで来た。
八ヶ岳にも何度か来た。 あるとき麦草峠のヒュッテに泊まったが、久しぶりだったせいか全員高山病になった。頭痛に悩まされたが、子供達は、それにもめげず雪合戦でびしょびしょになって遊んだのを覚えている。
家の子供達は我々夫婦と共に皆スキーをやる。末っ子の娘は競技スキーをやっていたので一番速く滑る。次男は一級の腕前であるので綺麗に滑る。長男もそこそこ滑るが、どちらかというとアウトドア派である。友人の子供達も皆スキーをやる。
そして皆結婚した。我が家でも長男、次男が結婚した。成長したため再び夫婦だけの付き合いになった。
このように若いときから何回も八ヶ岳にやって来ているので八ヶ岳には深い愛着がある。山小屋の場所を、他に何処も調べずに、簡単に八ヶ岳山麓と決めたのもそんな経緯が有ったからである。