ピッツバーグのカーネギーメロン大学に研究者として留学していた私の部下M君が最近帰国した。米国では、大学の先生も生徒も物作りが大好きで、ワイン、地ビール、燻製作りなどが流行っているそうである。みんなで車に乗って何百キロも離れた葡萄畑に出かけて、たっぷり仕入れ、それぞれ独自の方法でワインを仕込む。出来上がると、家々を廻ってワインパーティーを開き、蘊蓄を傾け合うそうである。

 ビール作りも米国では今や当たり前の趣味であり、色々な構造の器具が売られている。ビールの素だけでなく、独特の味を出すために色々な物を混ぜる。
 制作者は、ビールパーティーを開いて仲間に賞味させる。時には本人も始めて毒味する場合がある。うっかり作り損なうと王冠を抜いた途端に天井まで吹き上がり、部屋中異様な匂いに包まれることもあるそうである。

 燻製も良く作る。簡単な仕掛けから凝ったものまで色々あるが、成果はワインパーティーやビールパーティーの肴になる。
 何が飛び出すか分からないところが自作の楽しみである。

  一年前、アメリカのM君のアパートを訪れた際、彼は、まだ残っている自作のビールを抜いて歓迎してくれると言う。集まった仲間は、彼のビールが天井まで吹き上がったことを知っているので恐る恐る遠巻きにして見ている。彼もなにやら恐ろしげに栓を抜く。シューと言う音とともに、薄黄色い泡が二三センチ吹いただけで大事には至らなかった。直ぐコップに受け、先ず彼が毒味する。「一寸普通のビールとは違うけど、大丈夫です」と言う。早速みんなで呑んで見たが、どうも旨くない。泡に黄色い色が着いているのが少し気になる。ビールの味と言うより、何か果物の発酵した匂いがする。「どんな作り方で作ったの」と聞くと、「普通のレシピ通りです」という。
 「もう一本開けてみましょう」と奥さんが別な瓶を冷蔵庫から取り出す。今度は泡を吹き出さない。呑んでみると、少しはビールに近い味がする。「このくらいなら我慢できる」などと言いながら、結局三四本開けた。一本として同じ味の物はなかった。皆同じレシビで作ったと言う。どうも雑菌が入ったようである。

  そんなこともあって、日本に帰ってから自分でビールを造ってみようと、渋谷の東急ハンズを訪れた。何種類か、米国産の地ビール作りの器具が売られていた。一度に出来る量と、出来た後の取り回しに多少違いがあるだけで、どれも原理は殆ど同じである。早速米国製の一つを買い求めた。一度に6リットル造れる一次発酵用のポリ容器、缶詰に入った三種類のビールの素と酵母が三回分、砂糖を入れて二次発酵させるときの1.5リットルのポリ瓶が4本、温度計が一本入っていた。少々高く、3万5千円であった。何回作ると売っているビールより安くつくかの計算書が入っていた。それは計算高い日本人に売るために後から付け加えた説明書であった。

 家に帰って説明書を読むと、最低限のことが書かれているだけであった。何となく心配なので、書店でビール作りの本を一冊購入した。

  説明書と本を読むと、色々書いて有るが、大事なことは三つで、温度調節と雑菌を防ぐための消毒と計量であった。ピッツバーグでの彼の作は、どうやらその三つがいい加減だったらしい。

 計量は、電子台計りを購入したので、大丈夫である。
 雑菌を押さえるには、70%アルコールを霧吹きに入れて、事前に全ての器具を消毒し、その後も手で触った部分を消毒すればよいので、億劫がらねば何の問題もない。

 問題は温度調節である。説明書には「25度プラス/マイナス3度の範囲で造れ」、と書いて有るだけであった。本を読むと、毛布にくるめとか電気毛布がよいなどと書いて有るが、そんなに上手く行くかどうか不安だった。またピッツバーグの彼のようにビールが吹いたら毛布は臭くて使い物にならなくなる。

 山小屋の楽しみ術を追求する私としては、何か上手い方法はないかと考えた末、一計を案じた。近くのホームセンターへ行って2~30リットル入る角形のビニール桶(24本入りビール運搬ケースの大きさ)と金魚の水槽の温度調節用30ワットのヒーターを買ってきた。このヒーターには0.5度刻みの温度調整機能がある。桶に適当に水を入れ、そこにヒーターを沈め、25度に温度を設定すると、正確に水の温度を調整できる。水が冷たいときには、お湯を注ぎ、25度にしてからヒーターを入れる。真夏でも日向に置かなければ、水温が25度を超えることはあまり無いし、越えても水道栓を僅かに開けてそそぎ込み、余った水を溢れさせれば、一年中使える。
 この水の中に一次発酵容器を沈めれば、一週間25度プラスマイナス0.5度を保てる。また二次発酵でも、同様に一週間25度を保てる。これで温度調節は完璧である。因みに温度調節器は3、4千円であった。
 後は、レシピに従って作ればよい。

 出来た地ビールは、最初炭酸ガスの量が少ないように思えた。どうも温度調節が上手く行き過ぎたので、もう少し高い温度が必要だったのかも知れない。
 又二次発酵の時に加える砂糖の量でアルコール度の調節が出来る。v  出来上がった地ビールを冷蔵庫で冷やすと、何時でも飲める状態になる。
 驚いたことに、地ビールは防腐剤が全く入っていないためか、幾らでも飲めるのである。私は家では350ミリリットルの缶ビール一本が普通で、よほど暑いときでも500ミリリットルもあれば十分であったのに、自分で作った地ビールは、軽く1.5リットル飲み干せるのである。これには吃驚した。
 そのため6リットルのビールでは直ぐ無くなってしまい、作るのが忙しくなってしまった。v  この味が忘れられなくて、今でも時々作っている。地ビールが流行りで、最近はあちこちで売っているが、異常に値段が高いのが欠点である。やり方が分かったので、今度は一度に大量に作る方法に挑戦するつもりである。

 話は変わるが、長野、山梨地方には、よく地ビールを呑ませる店がある。
 蓼科のペンションで呑ませて貰った信州の地ビール”銀河”も旨かった。でもそれは信州の何処かで大量に作り、このペンションに瓶詰めで配送された物であった。

 清里の国道141号沿いに有るレストラン「ロック」は、その場所でプロが本格的な地ビールを造って呑ませる大きなログハウスのビヤホールである。八千穂からの帰りに此処に立ち寄るのが楽しみである。家内が運転するので安心して飲める。
 ドイツ風味の、実に旨いビールを呑ませてくれる。種類は三種類で、その中の一種類は季節限定である。客は清里の別荘の住人が少しと、あとは殆ど若者で、たっぷりした店内で静かに語らっている。人の集まる夏場の日曜日には、時々スイス音楽やロックのコンサートが開かれる。
 先日、夏休み最後の日曜日の夜、久しぶりに地ビールを、と思って立ち寄ると、店は元気な若者で溢れ、入り口に待ち行列が出来ていた。大音響の音楽がログハウスの店を打ち破らんばかりに響きわたっていた。「あ、これは駄目だ」と退散した。こんな事もあるが、常日頃は、客はまばらで落ち着いた良い店である。