今年の春は栗の花が異常に沢山咲いた。濡れた鼠の尻尾のような咲き殻が道端や草むらに汚らしくべたべたと張り付いて、今でも沢山残っている。どうも我々の山小屋の周りだけの事ではないらしい。夏に入ると、可愛らしい黄緑色の小さな毬が近くの栗の木にびっしりと付いた。

 山小屋建設の時に、眺望を確保するため、背の高い落葉松を随分切った。一寸切りすぎたかなと思ったが、今になると色々な雑木が鬱蒼と茂って柔らかい森になっている。よく山は雑木が最も美しいと言うが、本当に雑木は心を和ませてくれる。
 我が家の森は、落葉松、ミズナラ、カシワ、栗、山桜、白樺、ズミ、楓、モミジ等がよく育つ。変わり種としてツノハシバミ、バッコ柳、壇紅梅が混ざる。またサワフタギ、ミヤマウグイスカグラなどの潅木が間を埋める。自然に生えた白樺も沢山あり、三メートル前後に育っている。まだ幹は白くない。

 八月の末になると、秋の気配が忍び寄り、桜の葉が先ず黄色味を帯びてくる。中に数枚、既に赤く染まった葉が混じる。傍らの山吹の葉も、黄色味を帯びて、舞台を作り始める。逆にこれまで主役であった山野草の葉は痩せ枯れて、薄茶色に地面を覆う。代わって萩があちこちに咲き乱れ、ススキを初めとする何種類もの科本科植物が茂り、穂も既に沢山出ている。昼の気温も20度前後になり、夏を惜しむ蝉の声も心なしか弱々しくなっている。

 八月の末から十月の初めまでは、美しい高山植物と紅葉の端境期で、森は静寂を保っているが、注意して見ると少しづつ動いているのが分かる。

 日曜日の朝、何時も星を見る畑に出てみると、農家の人が珍しく何人も出て、白菜やレタスなどの高原野菜の収穫をしている。ふと向こうを見ると、白菜畑に続いて一面黄色い花が広がっている。今時なんだろうと、近づいてみると、五十メートル四方にも渡って月見草が咲いているのである。此処は休耕地である。月見草を鍬込んで肥料にするのか、手入れをしないのでそうなったのか分からないが、それはそれは見事なものである。一方農道を挟んで反対側の畑には紫の花を沢山付けた草藤が、これも群落を作り、数十センチの高さに繁茂している。その中に踏み行ってみると、小さな花が一つ一つ鮮やかな色を放って本当に美しく可憐である。
 家内はパソコンでホームページを作るのに、「図鑑のような花ではなく、自然の中に溶け込んだ花の写真を撮ってよ」と言う。「こんな感じかな」と数枚の写真を撮る。

 この時期、森には鳥が沢山居るが、黙って木の枝を渡り歩いているため、あまり目立たない。時々ホオジロが「ツッツッ」と鳴く。春のように木のてっぺんで「源平ツツジ、白ツツジ」などと高らかに囀ることもない。動きもやや鈍く、下枝に止まっているのを立ち止まって見ていても大慌てで逃げるでもなく、近い枝に移るだけである。
 床下で作業をしていると、ヤマガラが飛び込んできた。余り慌てるでもなく、飛び去った。続いてもう一羽がやってきた。番かも知れない。これも声も出さずに飛んでいった。毎年来ているヤマガラだろうか。今年はまだ餌をやり始めていないので、催促に来たのかも知れない。

 今年の夏は珍しく殆ど山歩きをしなかった。家内のパソコン熱と私の床下工事で明け暮れた。まだ床下工事は沢山残っているが、9月中には、まだ登り残している南八ヶ岳の横岳に登りたいと思っていたが、結局行かず終いであった。

 それとは別に、今年は居間に掘り炬燵を作ってやろうと思う。狭い山小屋なので、人が泊まりに来ると、居間にも寝るため、長椅子を置けないでいた。掘り炬燵にすれば、足を下ろせるし、蓋をすれば平らになるので、ずっと使い易くなるはずである。

 堀越さんのお兄さんが山小屋を建て増ししたとき、掘り炬燵を作ったというので、見せてもらった。やはり傾斜地なので、床下が開いていて造りが床下からよく見える。私も以前小金井の家の座敷に、自己流で掘り炬燵を作り、今でも使っている。
 私の作り方は、細い角材で枠を造り、それを根太から吊し、内側に断熱材を入れて、ベニヤを張る方法であったが、富田大工さんの方法は炬燵の内張りの板で下の枠を吊っていた。同じものでも作る人によって案外違うものである。

 それより大事なことは、反射型電気ヒーターのコードを炬燵内部から取るのではなく、室内のコンセントから取り、コードを床に這わせておくことだという。切り忘れがないようにするためである。コードの途中に小さな箱を造り、その中にランプを仕込めばなお良い。そんなコンセントも今では街で売っている。里でも火事の多くは電気炬燵の消し忘れなのだそうである。

 つい最近、小屋から里へ下りる畑の中の抜け道を走っていると、五十坪ほどの畑に蕎麦が植えられていて、丁度白い花が満開で、背後の農家と相まってなかなか風情のある景色を作っていた。私の知っている蕎麦は背が低く、ややいじけているのが普通であったが、ここの蕎麦は私の背丈ほどに伸びていた。赤味がかった茎も太く、しっかりと立っていた。もともと蕎麦は痩せた土地がよいと言われているが、この畑はどうやら普通の畑の跡地らしく、まだ肥えているのだろう。毎年作っていればそのうち痩せてくるのかも知れない。
 八千穂村では蕎麦は殆ど見ないが、南の方の金峰山の麓にある川上村では高原野菜と一緒に沢山作っている。

 十月に入ると、そろそろ新蕎麦の時期である。堀越さんの小屋を訊ねたとき、彼は松原湖で蕎麦打ちを習ってきたという。私も前からやりたいことの一つである。既にコネ棒と板は用意してあるが、木鉢は未だである。以前木曽福島に行ったとき、ほうの木の鉢を売っていた。素晴らしい出来であったが、余り高いので手控えていた。そのうち良いものを買おうと思っている。
 彼は始めての経験であったが、先生から、「あなたはもう何年蕎麦打ちをやっていますか」と聞かれたそうである。彼は「いや、初めてです」と答えると、不思議そうな顔をしていたとのことである。そこで「もう長いこと陶芸をやっています」と言うと、先生は、「道理で・・・、蕎麦をこねるのと陶芸の土をこねるのとは全く同じなのです」と言われたそうである。

 以前から、蓼科の”こぶし平”の別荘地の周りに、「そば処、深山」の看板があちこちに有るのが気になっていた。丁度十月末に絵の仲間が山小屋に来てくれることになっているので、スケッチの場所を探しながら寄ってみた。
 別荘地の深い森の中に、看板とは裏腹に、こじんまりした蕎麦屋があった。店の前には大きな山葡萄の蔓が茂り、名前の通り、深い山の雰囲気であった。生ビールと天笊を注文した。大袈裟な立て札に恥じない旨い蕎麦を食べさせてくれた。

 話が山葡萄に及び、主人に「採れた実をどうするのか」と聞くと、やはり焼酎に漬けて梅酒のようにして飲むのだという。この間我々の山小屋の近くで採れた山葡萄を知らないなりに焼酎に漬けたのは正解であった。