山小屋から余り遠くない臼田の街に農業用品の専門店、嶋屋がある。その店を訪れた際、ちょうど昼時であったこともあり、佐久の食べ物屋に詳しいそこの女将に「この辺で最も旨い蕎麦屋は何処ですか」と聞いた。即座に答えたのが臼田の十一屋であった。

 早速出かけて行った。変哲もない店で、たいていの蕎麦屋にある手書きの品書きの中には、田舎らしく蕎麦とご飯物の取り合わせが多かった。また此処は信州であるが甲斐の”ほうとう”もあった。その中で”殿様蕎麦”というページがあった。殿様蕎麦のためだけに一ページを割いている。値段が普通の蕎麦の二倍近い1,200円の盛り蕎麦であった。
 「これは何ですか」と店員に聞いてみると、「当店が川上村の農家に作らせている蕎麦粒の中心部分だけを使って打った蕎麦です」と言う。「どう違うの」と聞くと、店員の言葉を引き取って、たまたま来ていたこの店の経営者が説明してくれた。「歯ごたえがあり、味が深い蕎麦で、絶対旨いですよ」と言う。彼は隣の不動産屋の親父であると同時に、川上村の村会議員もやっているなかなかのやり手の男である。

 だまされたと思って注文してみた。しばらくして出てきた蕎麦は、太い竹を二つに割って伏せ、更にその上側を切り欠いて簾を敷き、その上に盛ってある。色が白く蕎麦とうどんの相の子のような色をしている。普通の蕎麦にある黒い斑点がない。一口分摘んでつゆに漬けて食べてみると、見掛けとは異なり、かなりしゃっきりしている。箸にまつわりつかない。普通の蕎麦より歯ごたえがあるが、といって粘りも適当にある。味は普通の蕎麦の泥臭さと粉っぽさが無く独特の風味がある。でも間違いなく蕎麦の味である。「これは旨い。高いだけのことはある」、以来時々来て楽しんでいる。

 臼田にはその姉が経営しているもう一軒の蕎麦屋、”千ひろ”がある。そこにも殿様蕎麦がある。そこは新しいので、もう少し垢抜けた店で一寸した料理屋の趣である。中に入ると宴会もできる普通の蕎麦屋であるが、休日は客が引きも切らない。
 蕎麦の出所は同じと思うが味は十一屋の方が少し良いような気がする。蕎麦を打ってからの時間にも依るからどちらが良いとも言えない。

 最近、同じく臼田地区の国道141号沿いに、”要次郎蕎麦”と銘打って新しいそば屋が出来た。一寸気が利いた店である。確か十一屋の蕎麦のメニューの中に、要次郎蕎麦というのがあったような気がしたので、入ってみた。やはり、十一屋の流れで、うまい蕎麦を食べさせる店であった。

 殿様蕎麦のような蕎麦は生まれて初めてである。いつ頃誰が考案したのか、詳しく聞いていないが、有名な佐久の鯉料理と並べて名物としても恥ずかしくない逸品である。でも近くには戸隠など有名な蕎麦所があるため余り宣伝しないのかも知れない。

 ある日親友の日野システックの経営者である日野夫妻を連れていった。彼は登山のプロでもあり、よく私の山小屋に来る男で、大学時代からの親友である。彼は信州伊那の出身で蕎麦にはうるさい男である。生憎品切れ寸前であったが一口食べると「これは旨い」と感激していた。v  その翌日麦草峠で遊んだ後、蕎麦続きではあったが、蓼科で隠れた有名な蕎麦屋へ入った。そこでは”盛り蕎麦”と”蕎麦がき”しか出さない。知る人ぞ知る凝った蕎麦屋なのである。値段も殿様蕎麦と同じくらいよい値段であった。しかし彼は「昨日の蕎麦の方がずっと旨いよ」と言った。
 味は人により好きずきがあるから最後に旨い不味いを決めるのは食べる人であるが、自分が旨いと思える食べ物に巡り会えることは幸せである。