山小屋から下って、里に近い所に、岩魚の養魚場がある。大石川の水を取り入れて稚魚から育てている。5×10メートル程の水槽が十数個並び、生育の度合いによって分けられている。覗くと大量の岩魚が元気に泳いでいる。人が近付くと「さっと」散る。その早さは目にも止まらない。面白いのは、彼等が逃げるとき、互いに二三センチしか離れていないのに、決して頭をぶっつけ合わないことである。
彼等は秒速2メートル以上で泳ぎながら2センチ幅をコントロールできる運動神経を持っているのである。もっと詳しく見ると、約2センチ間隔で幅2メートル、長さ3メートル以上の大群が綺麗に平行になって、しかもくねって泳ぐのである。更に上下にも立体的に並んでいる。
山小屋に客が来ると、良く買いに行き、囲炉裏で焼いてご馳走する。
最初、「川魚はどうも」と言う人が多い。多くの場合、生臭いと言うのが理由である。川魚は時間が経つと、直ぐに生臭くなるが、捕りたての魚を使えばこの問題は全くない。もともと、川魚の捕りたては、鼻を付けても殆ど匂いがない。
また、焼き上がりが「くたくたして、水っぽい」等とも言う。川魚を、秋刀魚のように、焼き網を使ってガスコンロでさっと焼いて食べると、確かに水っぽく、生臭い感じがする。
実際には、川魚は、焼き方で旨さが決まる。塩だけ、または胡椒を振って焼けば、焼き上がりは、魚の種類によって決まる味になる。
養魚場では、泳いでいる岩魚を網で掬って電気締めしてくれる。
小屋に帰って先ず腸を取る。腹を割いて取り出しても良いが、もっと簡単に取る方法がある。割り箸を二本用意する。ぬめりで滑らないように左手に綿の手袋をはめて岩魚の頭部を残して掴み、両側から指で押さえると口が開く。割り箸一本を口から差し込み、鰓蓋から出てきた箸の先端を一方の茶色い鰓を突き抜いて、横腹の内側に沿って肛門近くまで差し込む。その際、腸と腹の皮の間に箸を差し込むのがコツである。続いてもう一本の割り箸を、反対側の鰓から同じように差し込む。
次に、頭と胴体を左手でしっかり掴み、口から出ている二本の箸を右手で握って一回り捻ってから引き出すと腸がスポット抜け出てくる。
実は息子に教わって初めてやってみたのだが、初めから上手くいった。だから誰にでも出来る。腹を割くよりずっと簡単である。コツは、ヌルヌルの魚が滑らないように、左手に綿の手袋を填める事である。後は口から水道水を入れ、さっと水で洗うだけである。洗ったら全体に塩をまぶし、更に口から塩と胡椒を適量振る。
良く熾した強い炭火を遠火にして、表面が薄く焦げる頃合いを見て何度もひっくり返し、30分ぐらい掛けてじっくりと焼く。その間に、中の脂が「じゅくじゅく」と垂れ、表皮が斑に焦げて、”そぼろ状”になる。皮と表面の肉が混ざり合って、少し固まった状態になるまで焼く。丁度薪で炊いたご飯の”お焦げ”のように焼くのである。中身は脂が抜けて、さっぱりとした白身である。
最初に振った塩胡椒以外は、何も付けずに食べるのが一番美味しい。好みによってレモンを垂らしたり、醤油をほんの少し付けても良い。手で、頭と尻尾を持ってかぶりつくのもよい。当に絶品である。
冷えたビールや、燗をした日本酒を飲みながら食べれば、天下太平である。
一度食べると、「これはいける。川魚ってこんなに美味しいものだったのか」と誰もが言う。そして一匹では物足りない顔をする。その頃次の岩魚が焼ける。
八ヶ岳山麓は、岩魚は本場であるので、土地の大型スーパーにも虹鱒と並んで時には出ていることがある。虹鱒は一匹200円位であるが、岩魚は350円から400円はする。しかし、我々の買う養魚場の岩魚は、鮮度は良いし、値段も半分ぐらいである。勿論天然の岩魚なら言うことはない。
実は虹鱒と岩魚の味を区別することは難しい。そのためか、土地の人は安い虹鱒の方を買うらしく、岩魚は滅多に出ていない。しかし、虹鱒より岩魚の方が身が締まっているような気がする。身の締まりも味の中であるから、やはり岩魚に軍配が上がる。
吹きっさらしで囲炉裏が使えない冬を除いて、一年中これをやる。さっぱりした味なので飽きない。最近では、焚き火場が出来たので、焚き火をしながら囲炉裏で岩魚を焼く。そろそろ始まった紅葉の森に囲まれて焼くと、岩魚の焼ける匂いが木々の間に漂い、何となくゆったりとした気分になる。