我々の山小屋がある尾根から二百メートルほど南に、八ヶ岳から複雑に伸びた白樺の尾根がある。その直ぐ下に小さな谷川が流れていて別荘地の境界になっている。
朝、小屋の雨戸を開けると静寂の中にこの川の音が聞こえてくる。百メートル近く離れているため、こもったような低い響きである。しかし昼頃になると我々も活発に動き廻ることもあって何時しか聞こえなくなる。夕方外でバーベキューなどをしていると静寂が蘇り、再び聞こえてくる。
川は二三メートルほどの幅で、深さもそれほど無く四五十センチの石がゴロゴロしている。川の中に適当な石があるところでは、それを飛び石代りにしてひょいと跳んで渡れる。水が綺麗で川端には春になると二輪草や芹などが群生する。
地形が微妙に変化しているので小さい川の割には変化に富んだ音を出す。小さな段差では白い水しぶきが散り、思いの外大きな音をたてる。大雨の後では「ゴウゴウ」と大声を出し、まるで大きな川の側に住んでいるかの様である。
つい最近そこで岩魚を二匹釣った人が居た。釣り人には知られた千曲川の支流の大石川のまた支流の一つになっているので、居ても不思議ではないが、まさかこんな手近なところで岩魚が釣れるとは知らなかった。いつか釣りも始めなければなるまい。
夏の初め、6月になると蝉が鳴き始める。胴体が薄茶色で半透明な春蝉である。「カッ」と日が照ると、一斉に鳴き出し、辺りは蝉時雨と言うより蝉の土砂降りとなる。庭を歩き回ってみると、あちこちに蝉が抜け出した穴が有り、木の根本付近に抜け殻が見られる。それは意外に小さく、泥だらけである。
この蝉も三週間もすると、鳴かなくなる。山は季節の回りが早いのか、ほんの僅かな期間しか蝉に会えない。だから特別五月蠅いとは感じない。むしろもう終わったのかと呆気ないくらいである。春が遅く冬が早い山間部では動物が活動する期間は都会に比べるとずっと短い。
夏の終わりの低気圧の時期や冬枯れの時期には結構強い風が吹く。遠くで「ゴー」と言う音が聞こえると、その音は瞬く間に我が家の林にたどり着き、落葉松が一斉に並んで撓み「ボー」と言うやや低い音を響かせる。時々大きな枯れ枝が「どさっと」言う音を立てて落ちる。
我が家には二十本ほど落葉松が生えているが、何故か三本が立ち枯れている。ある日山小屋に来たとき、その中の東の一番大きな唐松の先端が数メートル分無くなっているのに気が付いた。いくら周りを探してもその先端部は見当たらない。持っていく人は居ないはずである。今でも不思議に思っている。
直径30センチ近くもある枯れた落葉松で、まだ20メートル近く残っているので、倒れては危険と思い、晴れた日にチェーンソウで切り倒した。何度か伐採をやったことがあるが、木が密集しているので、周りの木を痛めずに倒すには、可成りの方向精度を出さなければならない。このくらい大きな木になると、倒れ始めてから方向を修正する事は出来ない。傾斜地の谷側の林の隙間に倒すことにした。木全体の重心が根の真上にあることを確認して先ず谷側の幹を半分近くチェーンソウで楔状に切り取った。裏側のそれより数センチ高いところに追い鋸を入れる。反対側の楔型の凹みの先端に近い位置まで切り込んだところで山側から押してやる。
大きな音を立てて倒れかかる。「どさーっ」と言う凄い音を立てて落ちるかと思いきや、方向が少し狂って左の唐松に寄りかかってしまった。こうなるとにっちもさっちも行かない。兎に角下から1メートルの辺りを切断することにした。
先ず上から切り込む。途中からチェーソウが重くなった。この部分には下向きに力が働いていることになる。今度は下からチェーンソウの背を当てる。少し切り進んだとき、突然大きく跳ねて、思わず尻餅をついた。目の前で、木は手前に半回転して崩れるように落ちた。一度弾んで静かになった。
それ以来狭いところでの伐採には相当神経を使うようになった。
チェーンソウによる事故がよく有る。アウトドア派の人の本には自分の怪我のことがよく書かれている。それほど危険なことである。機械工具にはいくら注意しても、し過ぎることはない。
その二年後、風の強い日に、たまたま小屋に来ていた。夜中になって、寝ていると、風の音でも消せないほど「バリバリ、どすん」と言う大きな音がした。建物にぶつかった様子はない。既に経験があるので「裏の枯れた落葉松だな」と直感した。朝起きて早速見に行くと、西側の枯れた落葉松の先端が3メートルほどもぎ取られて直下に落ちていた。枯れた唐松は、風が吹くとどうやら頭が落ちるものらしい。残った部分も近い中に切らなければと思った。
秋になると風の音と共に栗、ドングリ、クルミなどの木の実の収穫が始まる。我が家は、家の周りの木を切って有るので、直接実が屋根に落ちることはない。 昼間、風が無い日でも十分熟れた木の実は、土の上に堆積した落ち葉の上に「ポツン、カサッ」と愛くるしい音を立てて転がる。山道を歩いていても時々木の実が落ちる音がする。熟れた実が自然に殻から剥がれて落ちる音である。自立した子供が親に「行ってくるね」と言っているようにも聞こえる。
冬になって風が余り強くない日は、木にぶる下がるように沢山残っているカシワの葉っぱが「がさがさ」音を立てる。庭に立って耳を澄ますと、ミズナラの葉も一つ一つ音を立てて地面に落ちる。
落葉松の葉は小さくて軽いが、弱い雨のような音を出して「さらさら」と降り落ちる。道ばたは、一面うす茶色に染まる。時々頭にも降りかかり、家で着替えをしようとすると髪から枯れ葉が落ちることがある。干した布団や洗濯物にも何本かの葉が残る。夜中に風の音がすると、ベランダに堆積した落葉松の葉は翌朝にはすっかり掃いたようになくなっている。こんな風景を見る頃になると、「冬が来たなあ」と思う。今年で七度目の冬を迎える。
木は冬になると新陳代謝が弱まる。水分も減っている。冬を越して春が来ると、元気に水を吸い上げ、活発に活動する。だから木は冬から春の初めまでに切れという。春が進んでから切った材木は水気が多く割れたり狂ったりして使い難いと言われる。
春、根が動き出すと水揚げが活発になり、幹に耳を当てると「ざー」又は「ゴクゴク」と音がすると言う。しかし迂闊にして未だ試していない。聞いてみるまでは本当かどうか信じられない気もする。
風の流れは複雑で、弱い風でも細い枝の間を通り抜けると音が出る。沢山の枝で発生する音が幹を伝わって混ざり合い、案外大きな音を出しているのかも知れない。全く風が無いときにも聞こえるとすれば本当に水を吸い上げる音かも知れない。一度風の全く無い日に聴診器を当てて聞いてみたいものである。
小屋を建てたばかりの頃、寒い冬の夕方から夜中に掛けて「ピシー」という音をよく聞く。時には「ガツーン」という凄い音を出すときもある。暖房を炊くので木が暖まり、乾いた材木が割れて大きな音を出すのである。ネズミもきっとびっくりしていることだろう。
ネズミと言えば、毎日人が居るわけではないし、餌がないので我が山小屋には滅多に現れない。それでもこれまでに二回ほど天井を走る音がしたことがある。ねずみなのか栗鼠なのかは分からない。でも走り方はネズミのように聞き慣れた音である。
山小屋を建てて二三年後、11月になると必ずカメムシの大群が現れる。家の外のサイディングにも、家の中にも何処にでも出てくる。取ろうとすると例の臭い匂いを出す。夜中に寝ていると顔の上にも飛んでくる。一晩中カメムシ取りをやったこともある。家のあらゆる隙間をコーキング材で塞いだが、量は減ったがやはり出てくる。障子のように薄い紙の上を歩くときは「かさかさ」と、かすかな音をたてる。
最近では見つけるとティッシュペーパーを4回折って16枚の厚さにして臭いを出す前に潰す術を覚えた。何とも嫌な虫である。
もう一つ嫌な虫はヤスデである。七年周期とも言われるが、発生すると、どうしようもないほどの数で家の内外を這い回る。これも紙などの上を這うときには「さらさら」と音を出す。これは数センチほどの大きさがあるため、潰すには気持ちが悪い。外の道路にもびっしりと並んで這っている。きっと音を出しているのだろうが、余りにも多いため音を聞いている余裕がない。
これに比べれば蛾の飛来は気持ちよくはないが大したことではない。時には素晴らしく綺麗な蛾も来る。雨戸を閉めてから電気を点ければ光が漏れないので大丈夫である。時々雨戸を閉め忘れてガラスに直接ぶつかり、「こつん」と言う音を出して粉がガラスに付着する。大きな蛾は強く当たるため汁を出し「ベチャッ」と張り付く。気持ちはよくないが、これも山の音の一つである。
窓辺に用意した餌箱をめがけてくる鳥は、光の反射の加減か、一度もガラスにぶつかったことがないので有り難い。窓を開けておくとうっかり入って来て慌てて出口を探し、あちこちに激突して可哀想な思いをさせるが、滅多にないので安心している。
餌台には夜の中にひまわりの種を補給しておく。朝「とんとん、こつこつ」と、せわしなく、でもリズミカルに割る音で目が覚める。夢中で割っている姿を想像すると何となく愛嬌があり、雨戸を開けるのがためらわれる。それでも音の合間に開けると、一度は逃げるが、窓を閉めるのを待ちわびるようにしてやってくる。コガラは人懐こく、我々が窓から身を乗り出していてもやってくる。山小屋のまえにある、我々が「憩いの木」と名付けたミズナラの木に沢山の小鳥が来て黙って枝から枝に動いている。餌台に代わる代わる来たり、三羽一度に来たりする。互いに上下関係が有るらしく、複雑に入れ替わる。
鳥仲間の上下関係は、ゴジュウカラが一番強く、ヤマガラ、コガラ、シジュウカラからの順に下がり、人間に対しては、コガラが最も人懐こく、ヤマガラ、ゴジュウカラ、シジュウカラの順に臆病になる。シジュウカラは人が窓際に居ると、餌台に近づくだけで、直ぐ引き返し羽音を立てて逃げることが多い。アトリ科のカワラヒワやシメやウソはひまわりの種を口の中に入れて割るので、餌台の中に座り込んで食べる。別に他の鳥を脅かすわけでもなく、カラ類が横にやって来て種を持っていく。
これらの鳥の出す音は餌台に止まる「カサッ」と言う爪音、ひまわりの種をつついて割る音、羽ばたく音、アトリ科の鳥が種を口の中で「もごもご」すりつぶす音など多彩である。
巣作りの時期になると、巣箱を自分の好みに合わせて変形する作業があり、「こつこつ」叩く音、巣に飛び込む時に止まる音や羽と巣箱とで擦れる音が10メートルも離れているのに聞こえる。
この様に、音は彼らの活動を細かく映しだす。
山小屋から300メートルほど離れた所にある畑は、鹿を初めとする色々な動物が出没して荒らすらしい。京都の鹿脅しとは異なる無粋な鹿脅しが仕掛けられ、爆発音を夜中じゅう鳴らす。五分おき程度に「ドカン」と言う音を出す。始めは気になって眠れなかったが、最近では遠いことと余り大きな音でないこともあって気にならなくなった。
11月18日の明け方は、獅子座流星群の見られる日であった。ラジオやテレビが騒ぐほど星は降らなかったが、5、6分に一つ程度の流星が見られた。一個一個は比較的大きく、時に長く一直線に夜の天空を走る。十数年前の同じ流星群の時は音が聞こえるかと思えるほど、雨のように降ったそうである。流星の数が多いと、「ザーッ」と音が聞こえるような錯覚にとらわれる。
このように山には都会と違った色々な音があり、どれも非日常的で楽しく、人が思うほど静寂ではない。