建ててみると、何とも小さく、都会的で、趣のない山小屋になった。しかしここで週末を過ごすことを繰り返す中に、「我々は山小屋に来るのではなく、山小屋の在る場所に来るのだ」と言うことが分かってきた。
我が山小屋は、八ヶ岳山麓、千曲川沿いの長野県南佐久郡八千穂村の里から、国道299号を麦草峠に向かって8キロほど登ったところに有る。標高1220メートルの村営別荘地である。
そこは一部なだらかな部分もあるが、概して凹凸の激しい急な斜面の山林で、30年程前に、村興しの一貫として、山を切り開いて作った別荘地である。
レストランの類は一軒もない。管理棟一軒とゴミ集積所がいくつかあるだけである。昔はレストランや喫茶店が一つずつあったが、いつのまにか辞めてしまった。
我が家は310坪程の土地であるが、南に長い25度の急斜面の林なので、道を一つ隔てて数十メートル下の方にある二、三軒の家は、夏には木が茂って全く見えない。また、その先に白樺林の尾根があり、その手前の谷間にある小川で別荘地は終わっている。
そのため両隣に建つ山荘の庭と、前方の八ヶ岳連峰に通ずる広大な起伏を借景にすると、何千万坪の森の中にポツンと一軒存在しているような錯覚にとらわれる。
ここは日常性から離れ、季節の変化、天気による変化、一週間毎の風景の移ろいを楽しめる所であり、登山、スキー、山遊びの拠点にもなる。
春になると、山菜が採れ、一年中鳥がやってくる。絵画のモチーフにも事欠かず、気兼ねなく土木作業、焚き火、バーベキュー等を楽しめる場所である。小屋を取り巻く森は、遠く子供の頃の思い出や遊びを蘇らせてくれる。
男は何時になっても子供である。女はそれを呆れながらも微笑んで眺めている。人は何時でも自然の中に故郷を思い起こすのかも知れない。
こうやって七回の春を過ごしている中に、ゴルフにもすっかり疎くなった。年に30数回もやって来る。それでも、週末を待ちわびる気持は変わらない。こんな事は山小屋を建てる前には想像すら出来なかった。都会、しかも海しか知らない下町育ちの家内が文句を言わずについて来て、山に馴染んで行くのも予想外であった。
たまに家内が都合で来られなくなり、私だけが来ると、家内はしきりに文句を言う。「東京の仕事ができないから、たまにはこっちに居れば」とか、「交通費がもったいないわよ」などと言う。実は一緒に来たいのである。
何時か仕事を離れれば、この「男の隠れ家」ならぬ「夫婦の隠れ家」に来る頻度や滞在期間はもっと増えるだろう。道具に囲まれた作業場で、手ぐすねを引いて待っている木工が始まることだろう。
つい最近まで続けていた薔薇作りもここで再開するつもりである。大好きな土木工事の予定も進むことだろう。これまで時間的にままならなかった趣味が本格的に開花する筈である。
八ヶ岳の山も、もっともっと身近になり、これまで歩かなかったどんな細い山道にも足跡が付くことだろう。本当に山小屋が呼んでいるような気がする。 そんなことで、以下の文は、趣味の土木工事の記事が多すぎる感もあるが、細かい技術に興味のない方は読み飛ばしていただきたい。
誰でも50歳の半ばを過ぎると、定年が少しづつ射程に入ってくる。将来どんな生活をしたら良いのか考え始める歳でもある。
「山小屋が呼んでいる」は、そんな方々が、小さくとも山小屋 を建てると、そこにどんな楽しみや可能性が待っているのかを、限られた経験の中から述べてみたものである。又既に山小屋をお持ちの方には、遊びのレパートリーを増やすために、お役に立てれば幸いである。
なお、山小屋に纏わる作業については、興味のある方が再現できるように、段取り、イラスト、写真、寸法等を入れておいた。その分、少ししつこくなってしまったが、興味のない方は読み飛ばしていただきたい。