2006年6月6日〜15日まで娘と「アメリカ2大世界遺産大自然と西海岸ハイライト10日間の旅」に行って来ました。
 時差は16時間。日本の時間を知るには現地時間に4時間を足して、午前、午後をひっくり返せば良いと教わりました。

   一日目   着いたところはラスベガス
 成田から直行便でラスベガスへ。着いたところは40度を越す暑さ。
一日に3リットルのお水を飲んで下さいね。と添乗員さんに言われました。湿度が無いので知らないうちに体の水分が蒸発して行っているのだそうです。
大きなホテルが林立しているのにビックリ。立ち寄ったホテルの豪華さにもビックリでした。夜遅くに、外を歩いても全く心配が無い。そのことには心底驚きました。ヨーロッパの、旅行中の気の抜けない緊張感を想像していたのが嘘のようでした。 勿論、危険な事が起こったら、沢山の旅行者がお金を落としには来てくれなくなってしまうでしょう。治安はしっかり守られているようでした。
セスナの離着陸が頻繁でした。お金持ちが一寸遊びに来る。そのような場所のようでした。VIPは一晩に一億円を使うのだそうです。
ホテルの部屋数はラスベガス全体で14万室。稼働率は92%。祝日は97%なのだそうです。年間訪れる人は5000万人。
3000客室の有るホテルを建てると15000人が必要となり、全米一の人口増加率だそうです。その為、家も高くて50坪で5000万円ほどだそうです。
アメリカの家は広い。そう思っていたのに?

 2日目 バスにてグランドキャニオンへ
 8:00モーニングコール  10:00ホテル出発 
1849年カリフォルニアで金が見付かりゴールドラッシュが起きました。その為先住民と騎兵隊の間で争いが起きましたが、1875年ウインチェスター銃が開発され騎兵隊が圧勝しました。インディアンは1000万人いたのに、アメリカ人との戦いで50万人にまで減ってしまったそうです。
グランドキャニオンを発見したのは1860年代のゴールドラッシュ時代ジョンウエールズ パウエルという人。3ヶ月掛かって調査をして、又10年後政府の要請で調査しそれがグランドキャニオンを世間に広めた。との事でした。

  1942年高速道路が出来ました。アイゼンハワーが大統領に成って高速道路網を作らせアメリカの高速道路が完成しました。(何処までも続く高速道路が無料なのですよ。日本の、混雑しても高い有料。許せません!!)
1966年ルート66が出来ました。1930年から50年にかけての高度成長の時、シカゴからサンタモニカ迄4000Kの道路。
シカゴから工業製品をカリフォルニアからは農産物を。
その功罪の功の部分がチェーンストアー、マクドナルド、ホリデイインがあちら此方に出来た事でした。

 カーボイーは1905年から出現しました。
牛を売るのに船を使っていましたが、その船会社が料金を5割り増しに値上げしました。
牛を飼っている人たちは自分達で馬を使って牛を追い立てながら売買する場所まで運んで行くようになり、その人達がカーボイーでありました。被っている帽子はテンガロンハットと言われ、10ガロンの水を入れても漏らないように作られていました。
又、ジーンズも丈夫と言うことで開発されました。リーバイスが最初の発売者。

 グランドキャニオンは最初ナショナルモニュメントでした。時の大統領のサインで決まります。
ナショナルパークは国会を通ると名前が変わり、自然を破壊しないようにと予算が下ります。
1973年世界遺産に認定されました。
グランドキャニオンは泊まる人を限っています(エルトバホテル)。
年間500万人が訪れます。
年間パス50ドルでアメリカ中の国立公園が出入り自由と成る券が売られています。
今は山火事は、自然に消えるまで消火活動はしない事に成りました。
消さない事により、森の蘇りが計られ、松ぼっくりの中には松脂が多くついた種がありその実は山火事の後、芽を出すことが発見されました。
下草を焼く、コントロールファイヤーも行われるそうです。
人家に及ぶ時以外は自然放置だそうです。(生き物はどうなるのでしょうか〜)

  グランドキャニオンは標高2000〜3000メートルにかけて、今から1000万年位前から地殻が未だに隆起し続けているだそうです。
18億年前の地層が見えています。
ジュラ紀 2億4500万年前の酸化鉄の土壌。赤いところが多いのは酸化鉄の土壌の為。
コロラド州とユタ州がすっぽり入ってしまう位の大きさです。
(日本の国土位。きゃー、広ーーい)

 3日目 バスにてモニュメントバレーに
 6:30モーニングコール  8:00ホテル出発  
モニュメントバレーは標高1500メートル。
地層はジュラ紀より前の地層。ペインテッドデザート→砂漠の地
1936年駅馬車が撮影されたところです。
石の形で呼び名が違う  円筒→ビュートウ、長方形→メサ、煙突形→ニードル

スー族→肉を食う人達(スペイン人が勝手につけた名前)
ナホバ→ナイフを持つ人々。Dreamキャッチャーとも呼ばれトルコ石とsilverを使ってアクセサリーを作っている。手先がとても器用な民族
ナホバ族は狩猟を生業としていましたが9000年ぐらい前トウモロコシなどの農耕を覚え、それぞれの文化が花開きました。
身長は男性160センチ位、女性150センチ位。黒髪で、子供の出生率は50%。平均寿命は男性35歳、女性40歳。リューマチ、歯槽膿漏で亡くなる方が多かったそうです。
食べるものが少なくて脂肪を体に溜め込む遺伝子が出来てしまった為、今の食生活でもその遺伝子が働いて、物凄く太ってしまう。(その太り具合は、半端では有りませんでした。私は、や・せ・て・るー(・_*)\ペチ) 
クリントンさんが大統領の時、公立の小、中学校の販売機からコカコーラ等の飲料水を撤退させ、水と、100%ジュース以外売ってはいけないと決めたそうです。高校生はスポーツドリンクのみOK。
ハンバーガーも50年代は今より小さかったのに、90年代大きく変わったそうです。又今は、小さなものに変わって来ているそうです。
アメリカでも肥満による医療費の拡大で、政府が食生活を真剣にアドバイスするように変わって来ているとか。
確かに、10年以上前に行ったボストンでとった食事は、スープだけでギブアップするほどの量でしたが今回は、多いとはいえ、以前の比では有りませんでした。

 奇岩が砂漠の中に広がる地に政府により追いやられたナホバ族はどんなに恨んだかしら?でも、今はその地が一大観光地と化しました。
アメリカ政府は今度はその地を欲しいと言ったそうです。
でもナホバ族は絶対手放さないだろう。との事でした。
バスから降りて、一寸声を交わしただけで口の中はざらざら。住めば都なのでしょうか?
ナホバの言葉 
有難う→アヒャヒャ 、アヒィッヒィッ
さようなら→ハコネ
こんにちは→ヤテ
綺麗ね→ハジョネ

 4日目  グランドキャニオンからロスアンゼルスへ
モーニングコール4:00 4:30 日の出観光出発
グランドキャニオン国立公園内の一般車両が入れるポイントの中でもっとも朝日が美しく見える場所、マーサーポイントに行きました。気温は4度。私は、山用の薄いダウンを持って行ったのが幸いでした。日の出るまでの時間がとても寒かったです。でもお天気だから昨日の夕日、今朝のご来光と見ることが出来て良かったし、とても感動しました。
デジカメの動画で撮影してみましたが、グランドキャニオンの上に太陽が顔を出した瞬間、一筋の光が此方に長く延びました。「良くいらっしゃいました」と手を差し伸べ歓迎された気分でした。
ラスベガスへバスで戻りました。朝早くの日の出ツアーで皆さん夢の中。ガイドさんも説明を控えられ、この日は特に書きとめた事無しでした。
ロスアンゼルスへ、飛行機で一時間。

 5日目 ロスアンゼルス バスにて見学
モーニングコール8:00  9:30 ホテル出発
街路樹のジャカランダがなんと綺麗なことか。紫の花を一杯つけて私達を迎えてくれました。
アカデミー賞受賞式会場、コダックシアター見学。映画の中のスパイダーマンや、バットマン等色々な出演者を模した人が出ていました。写真を一緒に撮らせてくれるのかも知れません。
  映画スターの足型、手型を見学、高級ショッピング街のロディオドライブをくるりと(此処が大事)見てマリナデルレイというヨットハーバーでの3種類のお魚のグリルの昼食。
  その後ルート66の終点、サンタモニカに行きました。(海はまだ寒そう)
Biverly Hills、Bel Air、BrentWood  Bが付く3つの住所が高級住宅街。
そこに住む人々は子供の尋ねて来るのを待つではなく、自分達が子供を訪ねる生活をしている。

ロスアンゼルスは国民総生産、アメリカ1
石油、軍需産業、金が出る。
サンタバーバラの南の方はアメリカ一の住み心地だそうです。
この日は、一寸体調を崩して、ローリーズの有名ローストビーフ リブステーキを試せませんでした。
※ステーキとはスライスした肉を焼いたもので「quick cooking」なのだそうです。ローストビーフとは少なくとも肋骨3本以上を持つ肉の塊を長時間かけて焼いたものだそうです。プライムリブは米国農務省の牛肉の品質規格(8段階)の中の最高グレードのものです。

 6日目  サンフランシスコからヨセミテ公園へバスで
 6:00モーニングコール  7:30 ホテル出発
ロスアンゼルスからサンフランシスコへ一時間の飛行
ロスアンゼルス空港で小さなチワワをつれたご婦人。香港で買ったそうでメキシコ人にはワンワン怒って吠え付くけれど日本人や韓国の方には喜んで手を舐める。と話されました。私と娘はチワワの大歓迎を受けました。(嬉しかった。可愛かったです)犬を客室に連れて行かれず預けるのがとても可哀そう。こんなに小さいのに。と哀しそうに話されました。

  サンフランシスコには塩田が沢山有りました。ピンク色をしています。濃い塩分に住む海老だけが生き残ってピンク色に成っているそうです。

  カルフォルニアは1700年代にスペインにより開拓され1800年代メキシコがスペイン領から独立したのに伴いメキシコ領となり、1848年カルフォルニア州となり、33番目のアメリカの州と成りました。
  旗の柄は白地に茶色の熊(グリズリーベアー)の絵柄です。
ゴールドラッシュはヨセミテのマリポサあたりで金が出ました。それがカルフォルニアを変えました。
1870年サンフランシスコからヨセミテまで道が通りました。

 7日目  ヨセミテ国立公園見学(世界遺産)
 7:00 モーニングコール  8:30 ホテル出発
ヨセミテは花崗岩が隆起して氷河が削って出来ました。
○エルキャピタン →1100メートルの一枚岩。ヨセミテ公園の代表的な岩
1958年30日掛けて、ロッククライミングで登頂成功。1999年81歳の方が10日間掛けて登頂成功。最年少は9歳。最短時間は2時間31分。車椅子は2週間と7時間。色々な人が挑戦しています。私が行った時も2人のゴマよりも小さな点が見えました。
○ハーフドーム→  冬の雪が凍って岩の裂け目に入り込んで溶ける時、膨張して割れた。 或いは、草や実が飛んで岩を割ることも有る。
○ブライダルベール→ 180メートルの滝。ウエディングベールのように下に広がって落ち、一年中水がある。
広い広い公園は下からグレーシャーポイントと呼ばれるヨセミテ渓谷を一望できるところまではバスで一時間も掛かりました。先ごろ開通したとか。まだ雪が残っていました。
大きく手を広げたようなハーフドームも直ぐ前に見えました。
素晴らしいお天気と素晴らしい広い景色に圧倒されました。
ヨセミテ滝も、雪解け水を集めて物凄い水量で落下していました。
滝つぼの側まで行きましたが、飛沫でびしょ濡れに成ってしまいました。

キャンプをする人には熊の被害がひどいそうで、キャンプ場には鉄で出来た食物保管箱が設置されていました。とても利口だそうです。
行き会ったら怖いでしょう。
もう夏休みに入ったとかで家族連れのキャンパーが沢山いました。アメリカは、大きなキャンピングカーが一杯走っていました。それでアメリカを旅行して歩くのだそうです。
立派なキャンピングカーは3000万円位だそうです(約家一軒分?)

 8日目  ヨセミテ国立公園→サンフランシスコへ
 6:30 モーニングコール  8:00 ホテル出発
サンフランシスコの町をバスにて見学しました。
ゴールデンブリッジ。ツインピークス(山の頂上から眺めたサンフランシスコの市内と湾は名物の霧もなくすっきりと見渡せました。)
ゲイの町があり、部屋の窓には虹色の旗が出ていて、世間にはっきりと知らせているのだそうです。町の街灯にも、交差点の信号にも旗がつけられていました。自由の国アメリカなんですね。
名物のケーブルカーに乗りました。満足!!
お土産にオーパスワンを買おうとしたら、余りに高くて辞めてしまいました。
98年もの 289ドル
99年もの 229ドル
2000年もの 199ドル
2001年もの 199ドル
2002年もの 179ドル  一ドルは大体115円でした。
でもこの金額に税金が8%位掛かります。
楽しかった旅も終わりに成りました。
“熟年の旅”を選んだのに結構ハードで、朝が早かったのを振り返って思い出しました。

写真集を作りました

カウンターカウンターカウンターカウンターカウンターカウンター